「朱里―っ」
自分を呼ぶ声に我に返ると、後ろから師匠とジライが駆けてきていた。
「あ、二人とも」
朱里の側で息をつく二人に、彼はのん気な声を出す。
「お前なあ、小夜ちゃんが心配なのは分かるが、いきなり突っ走るなよ。こんな暗ぇ中で走ったら転ぶぞ」
師匠が肩をすくめて言った。
その後ろでジライがぽそっと「師匠なんて四回もつまずいてたよ」と呟いたのを、師匠は聞こえなかったふりでやり過ごす。
「早いとこ小夜ちゃん見つけて帰ろうや。こう暗くっちゃ、思い通りに動くことすらできねえ」
そうして再び三人は洞窟の奥を目指して歩き始めた。
流れはずいぶんか細いものになってきていた。
このまま行くと、きっと流れはなくなってしまうだろう。
では、そこに何があるのだろうか。
いや、何もないのかもしれない。
自分は真の闇の中に置き去りにされてしまう。
本当に独りぼっちになってしまう。
それは怖いことなのに、自分の足は闇に向かって進んでいくのだ。
どんどん水流は細く、弱くなっていく。
そしてとうとう流れが途絶えた。
しかしそこは闇ではなかった。
暗闇の中に人が立っていて、その人からほのかな光が漂っていた。
とても温かそうな光で、自分は無意識のうちにその人に手を伸ばす。
その人は微笑んでこちらを見ていた。
ふと、自分は思う。
この人は私に幸せをくれる人だ、と。
その人の口がゆっくり開かれた。
「小夜」
呼ばれて目を開けると、そこはやはり暗闇の中だった。
まだ夢を見ているのだろうか、と首をかしげた小夜は、自分が洞窟の中にいることを思い出した。
向こうに見慣れた姿が見えた。
もう決断の時がきたのだ。
大きく息を吸うと、小夜はゆっくり起き上がる。
しばらく歩いていると突然、大きな広間に出た。
小さなドームぐらいはあるだろう。
「うわ、すげえな…」
半分ぐらい歩いたところで、朱里は奥のほうに人が倒れているのを発見した。
暗闇の中でもそれが誰なのか分かる。
「小夜!」
声をかけると彼女は起き上がってこちらを見た。
なぜか立ち上がろうとはしない。
「早くこっち来いよ。そんなとこに一人でいても楽しくねえだろ」
朱里は小夜のいる場所に向かって歩き始めた。
小夜は座り込んだまま、首を左右に振って言う。
「駄目です…」
眉をしかめた朱里の足元でガラガラッと石が音を立てた。
見ると朱里の立っている一歩先のほうには道がなくなっており、がらんとした空洞が口を開けていた。
目を凝らして周りをよく見ると、小夜のいる場所へと続く細い道と、同じような細い道の二本以外は地面がない。
のぞき込んでも見えるのは暗闇だけで、底はまったく見えなかった。
「お前なんでそんな危ないとこに…」
小夜のいる場所も広くはない。直径三メートルぐらいの丸い円の中に小夜は座っているのだ。
「ちょっと待ってろ、すぐそっちに…」
言いかけたところに再び小夜が首を振った。
「駄目です。私はここを動けません。来ちゃ駄目です」
どうして、と尋ねた朱里の肩を、それまでは黙っていた師匠が軽く叩いた。
「朱里、見てみろ。小夜ちゃんの反対側の道の先にあるもの」
師匠が指差したほうを見る。
「あれは…錬金術の書!?なんであんなところに…」
「さぁな。だが厄介なことになってるぜ。小夜ちゃんのいる場所とあの本のある場所、繋がってやがる。どっちか一方が動けば、もう片方はあの奈落の底にさようならだ。つまりお前が小夜ちゃんを助け出したとこで、本は永遠に穴の底、だ」
付け加えるかのようにジライが呟いた。
「例えるなら、天秤だね。朱里、君は二つのうちどちらかを選ばないといけないよ…」
言われて朱里は小夜と本を交互に見た。
「お前にとって大切なほうを選ぶんだ」
大切なほうを――朱里はその言葉を頭の中で反芻する。
「分かった」