* * * *


「朱里―っ」

自分を呼ぶ声に我に返ると、後ろから師匠とジライが駆けてきていた。

「あ、二人とも」

朱里の側で息をつく二人に、彼はのん気な声を出す。

「お前なあ、小夜ちゃんが心配なのは分かるが、いきなり突っ走るなよ。こんな暗ぇ中で走ったら転ぶぞ」

師匠が肩をすくめて言った。

その後ろでジライがぽそっと「師匠なんて四回もつまずいてたよ」と呟いたのを、師匠は聞こえなかったふりでやり過ごす。

「早いとこ小夜ちゃん見つけて帰ろうや。こう暗くっちゃ、思い通りに動くことすらできねえ」

そうして再び三人は洞窟の奥を目指して歩き始めた。


* * * *


 
流れはずいぶんか細いものになってきていた。

このまま行くと、きっと流れはなくなってしまうだろう。

では、そこに何があるのだろうか。
いや、何もないのかもしれない。

自分は真の闇の中に置き去りにされてしまう。
本当に独りぼっちになってしまう。

それは怖いことなのに、自分の足は闇に向かって進んでいくのだ。

どんどん水流は細く、弱くなっていく。
そしてとうとう流れが途絶えた。

しかしそこは闇ではなかった。

暗闇の中に人が立っていて、その人からほのかな光が漂っていた。

とても温かそうな光で、自分は無意識のうちにその人に手を伸ばす。

その人は微笑んでこちらを見ていた。

ふと、自分は思う。
この人は私に幸せをくれる人だ、と。

その人の口がゆっくり開かれた。



「小夜」



呼ばれて目を開けると、そこはやはり暗闇の中だった。

まだ夢を見ているのだろうか、と首をかしげた小夜は、自分が洞窟の中にいることを思い出した。

向こうに見慣れた姿が見えた。
もう決断の時がきたのだ。

大きく息を吸うと、小夜はゆっくり起き上がる。




しばらく歩いていると突然、大きな広間に出た。
小さなドームぐらいはあるだろう。

「うわ、すげえな…」

半分ぐらい歩いたところで、朱里は奥のほうに人が倒れているのを発見した。
暗闇の中でもそれが誰なのか分かる。

「小夜!」

声をかけると彼女は起き上がってこちらを見た。
なぜか立ち上がろうとはしない。

「早くこっち来いよ。そんなとこに一人でいても楽しくねえだろ」

朱里は小夜のいる場所に向かって歩き始めた。
小夜は座り込んだまま、首を左右に振って言う。

「駄目です…」

眉をしかめた朱里の足元でガラガラッと石が音を立てた。

見ると朱里の立っている一歩先のほうには道がなくなっており、がらんとした空洞が口を開けていた。

目を凝らして周りをよく見ると、小夜のいる場所へと続く細い道と、同じような細い道の二本以外は地面がない。
のぞき込んでも見えるのは暗闇だけで、底はまったく見えなかった。

「お前なんでそんな危ないとこに…」

小夜のいる場所も広くはない。直径三メートルぐらいの丸い円の中に小夜は座っているのだ。

「ちょっと待ってろ、すぐそっちに…」

言いかけたところに再び小夜が首を振った。

「駄目です。私はここを動けません。来ちゃ駄目です」

どうして、と尋ねた朱里の肩を、それまでは黙っていた師匠が軽く叩いた。

「朱里、見てみろ。小夜ちゃんの反対側の道の先にあるもの」

師匠が指差したほうを見る。

「あれは…錬金術の書!?なんであんなところに…」

「さぁな。だが厄介なことになってるぜ。小夜ちゃんのいる場所とあの本のある場所、繋がってやがる。どっちか一方が動けば、もう片方はあの奈落の底にさようならだ。つまりお前が小夜ちゃんを助け出したとこで、本は永遠に穴の底、だ」

付け加えるかのようにジライが呟いた。

「例えるなら、天秤だね。朱里、君は二つのうちどちらかを選ばないといけないよ…」

言われて朱里は小夜と本を交互に見た。

「お前にとって大切なほうを選ぶんだ」

大切なほうを――朱里はその言葉を頭の中で反芻する。

「分かった」



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