「確かにお前の周りの大人たちは、お前を傷つけてばかりいるよ。だけどな、そういう奴らばかりじゃねぇんだ。そいつらとは反対に、お前を守ってくれるのも大人なんだよ。世界は広いんだ、この町だけがすべてじゃねぇだろ」
それを聞いて涙のたまった目を丸くする少年に、微笑んでみせた。
「自分の目で世界を見るんだ。世界中の大人を見るんだ。それでもやっぱり大人が嫌いってならそれでいい。お前はそんな嫌な大人にならねぇように気をつければいいさ。な?」
宿への帰り道、初めて少年は心を開いた。
「朱里…。オレの名前、朱里っていうんだ…」
ぼそぼそっとうつむいて言うと、少年は早足で宿へ歩いていく。
確実に距離は縮んでいた。
「確かあいつはあの頃6歳だったな。それから七年間、オレらはずっと一緒だったけど、あいつが心から笑った顔は見たことねえなぁ」
指で頬を掻きながら師匠が言った。
「だけど、どうして別れてしまわれたんですか?せっかくご家族になれたのに」
小夜が尋ねると、師匠は微笑んで、
「家族だからだよ。息子の独り立ちを邪魔する親なんていねえだろ?あいつが一人で行くって言ったとき、俺もジライも引き止めたりしなかった。もっとも、朱里がオレらを家族だと思ってるかどうかは分からんが」
「そんな…、そんなことっ…」
言いかけたとき、食堂の扉からこちらに歩いてくる眠そうな朱里が見えた。
欠伸をしながら小夜の隣に腰かける。
「なんだ、まだ食ってなかったのか。先に二人で食ってりゃよかったのに」
「小夜ちゃんが皆を待ってるって言うからな。ほんといい子だよ、お前の相棒は」
言われて朱里が何気なく小夜のほうを見ると、彼女は何か考え込むように押し黙っていた。
「小夜?どうした」
顔をのぞきこむ朱里に小夜は慌てて返事をする。
「いえっ何も。それより、あの子たちはまだお眠りですか?」
「ん、ああ」
言って朱里はため息をつく。
思い出されるのは昨夜の悪夢。
朱里がこんな時間まで起きてこれなかったのには理由があった。
彼が眠りに就いたのは、明け方頃だったのだ。
「あいつらずっと騒いでてよ、しかもあいつらだけがうるさいんならまだしも、俺まで巻き込んで夜通し怪獣ごっこやら…。なんで子供ってあんなに元気なんだ。すっかり俺のエネルギー吸い取られた感じだよ、ほんと」
言われて小夜は、ああ、と思った。
昨晩の物音はこれだったのだ。
頭に朱里が怒りながらも、子供たちの相手をしてやっている姿が浮かんだ。
「あはははっ」
小夜はなんだか嬉しくなって笑ったが、馬鹿にされていると思ったのか朱里はその彼女の頬を軽くつまんだ。
「笑うなっつーの!」
しかし小夜は笑ったままだ。
朱里は少しの間眉間にしわを寄せて、小夜の両頬をムニムニつまんでいたが、いつの間にか小夜の笑いが伝わってしまったようで自分も笑顔になっていた。
「ははっ、笑うなって!」
「朱里さんこそーっ」
「お前が変な顔で笑ってるから、もらい笑いしてんだよ」
むにむにと頬をつまんだ手を上下に動かす。
さまざまな顔に変わる小夜に、声を上げて笑う朱里を、師匠は向かいの席から眺めていた。
こんな表情で笑うのだと、師匠は初めて知った。
そしてその笑顔は小夜が側にいるおかげなのだとも。
小夜は確かに朱里の光なのだ。
いつも隣にいて、朱里を照らしてくれる。
だからこんなに朱里自身も輝いているのだ。
もうここには、太陽に憧れながら暗闇でひっそり生きていた小さい少年はいない。
少年は光をまとって今を生きている。