「痛むところがあるなら隠さず言えよ。無理すんなっていつも言ってるだろ」
朱里に引かれるまま、小夜は両膝をつくようにして腰を落とした。
正面で自分を見つめる朱里に、首を横に振る。
「大丈夫、どこも痛めてません」
「…本当か?」
返事はせずに、地面に投げ出された朱里の右足に手を伸ばす。
ズボンの上からそっと触れただけで、朱里の顔が痛みに歪められた。
「…やっぱり、相当痛むんですね」
「今だけだよ。すぐ治る」
なおも朱里は気丈に笑みを向ける。
だが、それが強がりだということは当に分かっていた。
小夜が触れたときに感じた足首の腫れ。到底それは、少しの間ここで休息すれば治るようなものではない。
しかもここは山の中だ。町中より気温はずっと低い。
休憩するにしても、このままでは体が冷え切ってしまう。
現に小夜の手はすっかり冷えてかじかんでしまっている。
ここに長くいるべきではないことは明らかだ。
小夜は無言のままその場に立ち上がった。
朱里が不思議そうに小夜を見上げる。
「どうした?」
「私、助けを呼びに行ってきます」
束の間、静寂が周囲を包んだ。
朱里の手が小夜の手に伸びる。
「行かなくていい」
自分を引き止める強い力。小夜はそれを振りほどくことなく立ち尽くす。
「あと少し休めば歩けるようになる。それが無理なら、足を引きずってでも歩く。だからお前がそんなことする必要なんてない」
「必要ならあります」
「ない!こんな暗い中一人で山道下って、また崖から落ちでもしたらどうすんだよ。それこそ意味ないだろうが」
いつの間にか朱里の目は真剣みを帯びて小夜に注がれていた。
手首を掴む手に痛いほど力が加わる。
「でも、私も朱里さんのために何かしたいんです。朱里さんのお役に立ちたいんです」
役立たずなのは分かっている。それどころか足を引っ張ってばかりだ。
今だって、自分がドジを踏まなければこんなことにはならなかったのだから。
うつむく小夜に、朱里が告げた。
「俺のために何かしたいと思うんなら、ここで大人しくしててくれよ。目の届かないところに行かれるほうがきつい。いざというとき助けにも行けないんだぞ」
小夜は返事の代わりに首を横に振る。
自分を捕える朱里の手にさらに力が籠った。
「小夜──!」
いつまでも駄々をこねる子どもを叱りつけるように発された言葉に、小夜の肩が小さく跳ねた。
驚きに見開かれた瞳が朱里を見下ろす。
「いいから言うこと聞いてくれよ」
困ったようにも呆れたようにも見える顔で朱里が息を吐く。
朱里に掴まれた小夜の手が、ぐっと拳を形作った。
「…朱里さんは…」
呟く声は震えて、今にも消えてしまいそうだ。
「…朱里さんは、私が助けを呼びに行くこともできないほど無力だと思っているんですか…」
「違う、俺は…」
朱里を見つめる小夜の頬に、一筋涙が伝い落ちた。
「…役に立たない相棒なんて、いないほうがずっとましですよね…」
その口元が笑みを刻む。
涙をこぼしながら笑う小夜を、朱里が呆然と見上げている。
一瞬緩められた朱里の手を逃れて、小夜は一歩後ずさった。
そしてもう一歩。
見つめ合う二人の距離は次第に離れていく。
「待てよ…どこに行くつもりだ」
朱里の問いに、小夜は泣き顔によく似た微笑みを返した。
言葉はない。
そのまま朱里に背を向け走り出す。
「待て…行くな小夜!」
背中に刺さる声を拒否して、小夜は闇の中を駆けていった。
追いかけようと体を起こした途端、足にはしった激痛に、朱里は倒れ込むように腰を落とした。
闇に浮かぶ小夜の背中が小さくなっていく。
「小夜っ」
そう名を呼んだのを最後に、小夜の姿は闇に呑み込まれた。
ネジの緩んだブリキ人形のように足を投げ出し、朱里は崖を背にうなだれる。
光を失った銀色の前髪の間から、かすれた声が漏れた。
「…いつ誰がそんなこと言ったんだよ…」
地面に落ちた手が土を握り締める。
「…一度でもお前をいらないなんて言ったことねえだろ…。馬鹿やろ…」
顔の見えない朱里から発されたかすれ声は、空気と混ざり沈黙に変わる。
うなだれた朱里を静寂の中に置き去りにして、夜はさらに色濃く闇を生み落とし続けていった。
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