──体が重たい。
まるで胸の上に大きな岩が乗っているみたいに。
小夜は地面に仰向けで倒れていた。土に触れた背中が冷たい。
ゆっくりまぶたを開いた先には、同じような暗闇が広がっていた。
ここはどこだろう。
足を踏み外して崖から落ちて…これ以上は考えたくもなかった。
それよりも自分の上に乗っているもののほうが気になる。
なんとか半身を起こす。すると自分に覆いかぶさっていた重みが、ずるりと腿の辺りまで下がり落ちた。
闇の中、小夜は恐る恐る手を伸ばす。
指先に触れたのは思いがけず温かい感触だった。
「う…」
突然声を漏らしたそれに指を這わせ、小さくささやく。
「…朱里、さん…?」
小夜の上に乗り上がった声の主がゆっくりと体を起こす気配がした。
徐々に目が闇に慣れてくる。
輪郭、手、肩、髪の毛、そして顔。
声の主、朱里は気だるそうに起き上がりながら、
「…死ぬかと思った」
ただそれだけ呟いた。
そのまま両手を後ろについて腰を地面に落とす。
今小夜の目の前にいるのは、紛れもなく朱里だった。
だが、道から足を踏み外して落ちたのは小夜だけのはずだ。朱里は普通に道を歩いていたのだから。
「どうして…」
小夜は思わずそう口にしていた。
朱里が不思議そうな顔で小夜を見る。
その顔には暗闇の中でも分かるくらい、泥や擦り傷が浮かんでいる。
瞬間的に小夜は、落ちていく途中包まれた温もりの正体を知った。
小夜をかばうようにその体を抱きすくめる朱里の姿が頭に浮かぶ。
小夜は自分の体を見下ろしてみた。
出血はおろか、かすり傷のひとつもない。
「どうしてこんな危ないこと…」
声が震えた。
自分に対する怒りに呑み込まれそうになる。
目元に涙が滲んだ。
「おい、どこか痛むのか?」
気付けば、朱里が小夜の顔を覗き込んでいた。
「…泣いてる」
頬に朱里の手が伸びる。その手も擦り傷だらけだ。
小夜は横に首を振った。
「違いますっ…!私のせいで朱里さんが怪我をっ…」
その言葉に、朱里がからりとした笑いを浮かべる。
「そんなこと気にしてんのか。俺は大したことねえって」
そう言って立ち上がろうとするが、
「……っ」
バランスを崩して座り込む。右足首をかばっているように見えた。
「朱里さん、足をっ…」
朱里の足に伸ばした小夜の手を制して、朱里は苦笑を浮かべた。
「平気だって。ちょっと休んでればすぐ良くなる」
「でもっ」
「いいから。お前も隣座ってろよ。疲れたしちょうどいい休憩だ」
何でもないふうに笑って、朱里は傍らの崖に背を預ける。
小夜は朱里の前に立ち尽くしたまま、その姿を見下ろした。
どうしてこの人は笑ってられるんだろう。
足は相当痛むはずなのに。
こんな目に遭ったのも全部、私のせいなのに。
どうして笑顔を向けてくれるんだろう。
ふいに視界がぐにゃりと歪んだ。
朱里の姿があやふやになる。
「小夜?」
自分の名を呼ぶ声にも答えず、小夜は黙って泣いた。
自分の無力さが悔しくて。
こんな自分にまだ笑顔を向けてくれるこの人の優しさが悲しくて。
今自分を覆うすべての感情に対して、小夜は泣いた。
力があれば。
貪欲なほどに願い、切望する。
力があれば。
大事な人を…目の前で傷つきそれでも笑うこの人を守れる力が。
そのとき、小夜の脳裏で青い光の玉が弾けた。
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