第3章

幻 夜





窓の向こう側から、少しずつ夜が迫ってくる。


天高くそびえる山の頭上には赤い空が広がり、昼間の空を侵食しようとしていた。

赤と青が交じり合って生まれた紫色の空が、昼と夜の境界線を曖昧に辿っている。


宿屋の二階、長い廊下に並んだ西向きの窓から、小夜は一人外の景色を眺めていた。

もうすぐだ。
もうすぐ谷に夜が来る。

窓の縁に置いた両手に自然と力が入る。
肩が強張っているのか妙に固い。

落ち着こうと口から息を吐くと、わずかに呼気が震えているのが分かった。

陽が完全に落ちるまでもう間もない。

果たしてこんな調子で大丈夫なのだろうか。

小夜は昨夜もテラスで一人、自分に問いかけていた質問を反芻する。

何度繰り返しても自分では見つからない答え。


昨夜は朱里が答えをくれた。

小夜はこのままでもいいのだと。
失敗しても朱里が助けてくれるのだと。

だが、小夜はその答えを簡単に受け入れたくなかった。

朱里はいつでも優しい言葉をくれる。
優しすぎるくらいだ。

それを当たり前のように感じて、何もせず守られてばかりいたら、自分は駄目になってしまうだろう。

庇護される側ではなく、朱里を支える相棒でありたい。

それが小夜の望む最良の形だった。


しかし今のままではその願いは夢でしかなく、確固とした形を持たない。

朱里に支えられるばかりで、何も返せていないのが現状だ。

どうすればもっと強くなれるのだろう。

何物にも臆さない心を持つにはどうすればいいのだろう。


さっきよりも確実に夜色が濃くなった空を見据えて、小夜が小さな拳を握り締めたときだった。


「そんな顔してどうしたの?」


右方から澄んだ声が響いた。

見ると斜陽が射し込む廊下の中央に、綺羅が一人立っていた。


「あ…こんばんは」

間の抜けた言葉を返す小夜の元に、綺羅は真っ直ぐ歩み寄ってくる。

背筋をぴんと伸ばして前の一点から焦点をずらさない歩き方は、綺羅の性格を顕著に表していて、小夜は思わず見入ってしまった。

綺羅は小夜の隣に立つと、改めてまじまじと小夜の顔を見てきた。

彼女は元々長身の女性だ。
しかもヒールの高いブーツを履いているせいで、小夜とはかなり身長差が開く。

よって自ずと見下ろす形になった。

「何か嫌なことでもあった?」

濃紫の凛と澄んだ瞳に見つめられて、小夜はたじろいでしまう。

自分が望むものを綺羅は持っているのだ。

安定した心と、相棒を支えていける強さを。

「いえ、何もないですよ」

「そう?ならいいんだけど。さっき見たときずいぶん追い詰められた顔してたからさ。てっきりあの坊やに何か言われたのかと思った」

小さく笑って、小夜の隣に並ぶ。
そのまま窓の向こうに広がる夕日を見上げた。

小夜も綺羅に倣って外の景色を眺める。

空の色がまた少し夜に近づいた気がした。


こうして暮れゆく空を眺めていると、意識だけがどこか遠くに飛んでいきそうになる。

色んな鎖に繋がれた重い体を離れて、心だけ解き放たれるような気さえする。

自由になった心はどこを目指して飛ぶのだろう。

私はどこへ戻りたいのだろう。

一瞬、ちらりと懐かしい町の風景が頭をかすめた。

その中心には城が、町を見守るように佇んでいた。


ぼんやり窓の外を見つめていると、隣で綺羅が呟く声がした。

「綺麗ね…」

見慣れた町の上空を漂っていた小夜の意識が、一気に引き戻される。

横を見上げると、夕焼け色に染まった綺羅の横顔が柔らかい笑みを浮かべて外を見つめていた。


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