「幻月花っていうのは、月の光を成分として取り込むことで、自ら光を発することができるんじゃないかな。伝承でも見たけど、かなり光の種類も月のそれと酷似してるらしいし。月の光の成分を一定量まで蓄積させる間、幻月花は蕾を閉じて眠る。そして溜まったとき、一気に発散させるんだ。だけど、ここでひとつ問題がある。森の中の地面に近い場所に生息してたんじゃ、とても月の光なんて当たらないよな。この辺りは特に背丈の高い針葉樹が多いわけだし。でもさ、唯一あるんだよ、幻月花の生息に適した場所が」
「それが、山の頂き?」
「ああ。頂上なら比較的生えてる木の密度も低い。そこでなら、例え大木の下に幻月花が生えてるとしても、なんとか月の光を受けることができるんじゃねえかな。まあ、これは全部俺の推測でしかないんだけど」
朱里の言葉に根拠はないのだが、小夜は無言のまま頷く。
朱里は続けた。
「あとさ、聞いた話だと幻月花の光を見た者はまず必ず、月が地上に落ちてきたと勘違いするらしい。それって、空に月がない夜だからこそ起こる思い違いだよな。月が籠る夜、つまり月が姿を隠す新月のとき…明日の夜に、幻月花はそれまで地道に溜めていた光を発散させるんじゃねえかな」
自論を述べた後、朱里は反応を待つように小夜の顔に視線を留めた。
小夜は真っ直ぐ朱里を見返す。
「…では、明日私たちは山の頂上に向かえばいいのですね」
「信じるのか?俺の勝手な想像なのに」
自分から説明しておいて慌てる朱里に、小夜は微笑みを向けた。
「もちろんです。朱里さんのおっしゃることですから」
思わず顔を赤らめて朱里は閉口する。
小夜は地図に視線を落として告げた。
「この二つの道程のうち、どちらかを選べばいいんですよね」
ひとつは線幅の狭い、頂上までは短い道。
もうひとつは線幅の広い、頂上までの距離が若干長い道。
その二つを見比べて、小夜はそっと指先を地図の上に当てた。
「こちらがいいです」
小夜が示したのは、線幅の狭い道のほうだった。
「こちらの道なら、頂上までの距離も短いですし」
「でも、かなりの傾斜だぞ。俺はともかくお前には…」
「平気です」
朱里の言葉を遮って、小夜が告げた。
「旅を続けて、だいぶ歩くことにも慣れてきましたし、最近は一人で歩く練習もしていますから」
「歩く練習?…ああ、そういや今朝も一人でこっそり外出ようとしてたのは、そのためか」
秘密がばれて申し訳なさげに頷く小夜。
朱里は事もなげに、ソファに座る小夜のスカートをペラリとめくった。
「どうりで最近、やたらと生傷が増えてると思った」
露わになった小夜の膝小僧には、朱里の言葉どおり無数の擦り傷や打ち身が浮かんでいる。
「いつからこんなことやってるんだ」
答え辛そうに小夜が恐る恐る口を開く。
「あ、その、だいぶ前から…。いつまでも転んでばかりで、朱里さんの足を引っ張っていたくなくて…」
「ふうん」
小夜の横顔を眺めていた朱里が、ふいにソファの背に深くもたれて天井を仰いだ。
「なんかさ、お前変わったよな。昔はただ俺の後ろついてくるだけで必死って感じだったのに、今は自分から変わろうとしてる」
「い、嫌ですか…?」
怖々といったふうな小夜の声が返ってくる。
朱里は天井を見つめたまま口を開いた。
「うんって言ったら?」
「あ…悲しいです…」
今にも消失しそうな小夜の声音に、朱里は顔を下ろした。
その口の端には笑みが浮かんでいる。
「ばぁか、嘘に決まってんだろ。ま、あんま怪我しない程度に頑張れよな」
自分がからかわれたのだと気付いたのだろう。
小夜は表情を和らげて、コクンと頷いてみせた。
「はいっ。怪我するのは慣れてますから」
胸の前で両拳まで握ってみせる小夜の言葉に、朱里の笑いが一変して真顔に変わる。
地図を眺めて明日の夜に思いを馳せる小夜の横顔に、朱里はぽつりと呟いた。
「…慣れるとこ違うだろ…」
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