口をぱくつかせる金魚のような小夜の様子にひとしきり笑いを漏らした後、朱里は取り繕うように、半べそ状態の小夜の頭をがしがしと撫でてやった。
「悪い、お前が面白くてさ」
「うぅー…」
ふて腐れ気味に見上げてくる小夜の視線を笑顔で交わし、朱里は本題に戻るため姿勢を正した。
「で?教えてほしいことって?」
慣れないことを頼みに来たせいか、部屋に入ってきた当初は緊張していた小夜も、今のやり取りでようやく普段の状態に戻れたようだ。
笑顔さえ浮かべて、小夜は机の上を指差した。
「この紙の見方を教えていただきたいんです」
小夜が差し示す先にあったのは、ムーラン谷のある山周辺を描いた地図だった。
朱里が一度眺めたきり、机の上に投げ出していたのだ。
標高を表す線がびっしりと書き込まれた地図を手に、小夜は真剣そのものの顔で朱里の反応を待っている。
「別にいいけど…」
「ありがとうございますっ」
深く頭を下げる小夜に内心困惑しつつも、朱里は膝上に地図を広げてみせた。
隣から小夜がそれを覗き込む。
…どうしたものか。
これではとても、今回の件から身を引こうなどと言い出せない。
それどころか、小夜は積極的に幻月花を探し出そうとしているようだ。
(まあ、根拠のない勘に惑わされても仕方ないよな。実際に見つけ出せばはっきりすることだ)
強引に自分に言い聞かす。
大丈夫だ。
何も起こるはずはない。
体中を撫で回す不吉な感覚は、きっと気のせいに決まってる。
腕をさすって息を吸い込むと、朱里は目の前にある宝の目的地にだけ意識を集中させた。
「いいか、この谷は四方を山に囲まれてる。地図で言うと、この線が狭い間隔で密集してるところがそうだ。ちなみに、線と線の間は標高の差を表してる。つまり、線の幅が狭く多く集まってる場所ほど、高低の差が激しいってことになるな」
「では、ほとんど線がない場所が、この谷を表しているんですね」
「そうだ。谷の底は土地が平らだからな」
うんうん、と小夜が頷く。
確実に朱里の発言の一つひとつを頭でじっくり吟味し、理解を得ているようだ。
小夜が説明についてきていることを確かめて、朱里は続けた。
「山の辺りは線が円を描いてるのは分かるよな。中心にいくほど、どんどん小さな円になってるだろ」
「はい」
「じゃあ、中心の一番小さい円は何を示してるか分かるか?」
「ええと…山の頂上ですか?」
「正解。標高が一番高いところだ」
ほっと安堵を浮かべる小夜に、朱里は質問を畳み掛ける。
「じゃあ、山のこっち側とこっち側、実際に頂上まで上るとしたらお前はどっちを選ぶ?」
地図に当てた指先を、狭い間隔で並ぶ線の部分から、広い間隔で長く並ぶ線の部分へ移動させる。
「今回の目的地は頂上なんですか?」
不思議そうに見てくる小夜に、朱里は声をひそめて、ここだけの話だが、と口を開いた。
「あの二人組には黙ってたけど、例の花が咲いてるのは頂上付近じゃないかと思うんだ」
「そうなんですか…?」
無意識なのだろうが、小夜の声も自ずと小さくなる。
朱里は「ああ」と返して、地図から視線を外した。
窓の外に目を移し、じっとどこか遠方を見つめる。
「昨夜のうちに色々考えてたんだが、不思議じゃないか?どうして幻月花ってやつはある一定のときにしか光を発散させないのか。ずっと光っててもいいはずだろ」
「それは…」
小夜は答えに窮して言いつぐむ。
「これから先は、俺の考えでしかないんだけど…」
そう前提した上で、朱里は静かに口を開いた。
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