部屋に辿り着いた途端、朱里は室内に唯一あるソファに倒れ込むようにして腰を下ろした。
外は日も暮れ、茜空が窓の向こう側に広がっている。
外での情報収集により冷たい外気に触れていた頬は、うっすらと赤みを差していた。
だが、結局収穫といえる収穫はほとんどなかった。
頼りにしていた本の貸主も、既知の情報以外は持っていないようだった。
朱里の疑問を解決してくれる者は誰もいない。
花を手にした者は、その後どうなるのか──。
答えのない問いだけが、頭の中で堂々巡りをしている。
たかが伝承、作り話のようなものだ。
真剣に悩むほうが馬鹿らしい。
だが、深く根付いた疑問の芽は成長を止めない。
(何なんだろう、この胸騒ぎは)
伝承の一文を読んだときからずっとだ。
胸の奥のざわつきが止まらない。
暖かい室内にいても、肌が粟立つような感覚が続いている。
「…どうしちまったんだろう、俺」
ソファの背に頭を乗せて、朱里はじっと天井を見つめた。
これほどまでに何か予感めいたものを感じたことは、今まで一度もなかった。
だからこそ、脳裏に蠢くこの疑問を軽々しく払い落とせないでいるのだ。
嫌な予感。
朱里の頭を支配しているのはそれだけだった。
何も分からないまま幻月花を見つけてしまえば、何かよくないことが起きるのではないか。
今回は身を引いたほうがいいのではないか。
理由も根拠もない、言ってしまえば勘だけが朱里の意欲を鈍らせ、足を踏み止めさせる。
「…どうすっかな…」
天井に向けて呟かれた言葉は、ちょうど部屋がノックされる音に重なり消えた。
遠慮がちに小さく開かれた扉の隙間から、小夜の顔がちょこんと覗いた。
「そんなとこ立ってないで入ってこいよ」
ソファに深々と座ったまま、首だけ起こして朱里が言う。
すると小夜はするりと細身の体を滑り込ませて、後ろ手に扉を閉めた。
少しばかり気恥ずかしそうな顔で立ち尽くしている。
どうやら朱里の次の言葉を待っているようだ。
「何やってんだよ、お前は」
普段なら、入ってこいと言われた時点で、犬のように喜んで駆けてくる小夜だ。
珍しく控えめな様子に、朱里はおもわず笑ってしまった。
「ほら、こっちこっち」
手招いて呼んでみせると、ようやく朱里の前まで歩いてくる。
そのまま床の上に座ろうとしたので、朱里はその腕を引いて自分の隣に座らせた。
「なに変に遠慮してんだよ」
小夜の横顔が一気に赤くなった。
「あ、あのっ、今日はご教示いただきたいことがありましてっ…」
「ご教示?なんだよ、珍しいな」
ちらと視線を向けると、小夜の顔がますます赤くなるのが分かった。
からかいたくなるような反応だ。
あえて、朱里は下から覗き込むように小夜の顔を見つめ、口の端を引き上げて微笑んでみせた。
「何を教えてほしいんだ?」
予想通り、小夜の顔は夕焼け空に引けをとらないくらい赤く染まった。
「あ、のっ…」
片言で必死に言葉を紡ごうとするが、口は開閉するばかりで声が少しも出ていない。