大きく息を吐いて、綺羅は手を頭の後ろに回した。
自分の願いを聞き入れてくれたのかと顔を輝かす朔夜の前で、綺羅の髪を結っていた紐が解かれ、髪の毛がさらりと肩に流れ落ちる。
解き放たれた髪の毛は、腹下まで届くほどの長さになった。
「どう?これでもう馬のしっぽじゃなくなったでしょ」
綺羅がしてやったりの表情で言い放つ。
髪を下ろすと、だいぶ印象も変わるようだ。
普段より幾分幼くあどけないように見える。
綺羅の言葉に、朔夜が口をぽかんと開けたまま頷きを返した。
その目は驚いたように綺羅を見つめていた。
「何よ、まだ何か文句あるの」
「いや…」
朔夜がゆったりとした動作で首を振った。
「久しぶりにキラが髪下ろしたの見たなと思って…。でも、すごい。そっちのほうが可愛いよ。いつもより断然綺麗だ」
嬉しそうに、朔夜がうんうんと頷く。
対する綺羅は、いきなりのとんでもない発言に、それと見て分かるほど顔を紅潮させた。
「なっ、なに馬鹿なこと言ってんのよ!昔髪下ろしてたときはそんなこと一言も言わなかったじゃない!突然変なこと言うんじゃないわよ、馬鹿!」
「何怒ってんだよ。俺は思ったままを言っただけだろ。キラは髪下ろしてるときのほうがずっと綺麗だって」
再び飛び出す殺し文句に、耐え切れなくなった綺羅がその口を封じるため、跳びかかろうとしたときだった。
「そういやさ、あの子もめちゃくちゃ可愛かったよな」
急に朔夜の口元が情けなく緩んだ。
綺羅はぴたりと動きを止める。
「ほんと、見れば見るほど可愛いよ、小夜ちゃん。なっ、キラもそう思うだろ?」
弾むように無邪気な問いかけをしてくる朔夜に、綺羅は肩の力が抜ける気がした。
「…あんたねぇ…」
だがこれ以上何か言っても無駄なことは、綺羅自身一番よく分かっている。
朔夜が自覚してこういう類の発言をすることなど、あった例がない。
そのときの気持ち次第で、いつも彼の言葉は一変してきた。
言うなれば、朔夜の言葉を真に受けた綺羅が悪い、ということになる。
目の前で嬉しそうな笑顔を向ける朔夜に悪気はないのだ。
「なあ、キラもそう思うだろ?な?」
必死に同意を求めてくる相棒に、綺羅は仕方なく苦笑してみせた。
「そうね。可愛い顔してると思うわ」
「だろ!やっぱり俺の目に狂いはなかったんだ」
自分の眼力に自信を示す朔夜に、綺羅は「ただし」と付け加えた。
「いくら可愛いからって、手を出すのは駄目よ。そこんとこ分かってる?」
力強く朔夜が頷く。
「もちろん分かってるよ。ああいうタイプの子は、遠くから見てるだけで満足なんだ、俺」
先ほど食堂で、小夜をお茶に誘っていた男の台詞とは思えない。
朔夜は続けて、声高々に宣言した。
「変な虫がつかないように、俺がしっかり見張ってやらなきゃ!」
「あら。それならもう遅いんじゃない?もっとも、向こうからすれば、あんたのほうが変な虫ってとこなんだろうけど」
さらりと返した綺羅の言葉は、言うまでもなく、先ほど朔夜から受けた言葉に対する仕返しである。
むろん、すべて事実であり、嘘偽りはない。
「えっ、何それ?どういうこと!?」
朔夜が目に見えて動揺を露わにした。
狙い通りだ。
綺羅は心の中でほくそ笑む。
「今のってどういう意味だよ!なぁおい、キラってば!」
ひどく狼狽える朔夜を放って、綺羅は口元に隠し切れない笑みを浮かべたまま、再び地図を前に作戦を練り始めるのだった。
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