「──黒き夜、其の花は月となりて世界をあまねく照らせり。月、花の前にて籠り、暫し其の影押し止めん──」

「なんだそれ。何かの暗号かよ。俺そういうの苦手」

どうやら朔夜ははなから考える気もないらしい。
先ほどと同じ言葉を繰り返して、椅子の背かけにだらしなくもたれかかってしまった。

その向かいに座る小夜も、困ったように考え込んでいる。


朱里は紙上に視線を落としたままの綺羅の表情をうかがった。

彼女はしばし思案するように顎に手を当て、何かに気付いたのか、ゆっくりと朱里に顔を向けた。

勝気そうな黒い瞳が、朝日を浴びて紫に光る。

本当は濃い紫色の目なのかもしれない。
その目が今、何かを閃いたように爛々と輝いた。

「…黒き夜。影を押し止める…。なるほど。だから昨夜じゃ無理だったのね」

「そういうこと」

朱里の相槌と共に、綺羅が突然立ち上がった。
椅子が激しい音を立てて倒れる。

「おい、キラ」

たしなめようとする朔夜にも、倒れた椅子にも構わず、綺羅は窓の向こうに真っ直ぐ視線を向けた。

まるで何かに憑かれたかのような、夢中の表情。

幼い子どもがするのと同じ、期待と好奇の色を目元に湛えている。

「キラ?」

一体相棒は何を見ているのか。

怪訝そうに朔夜も窓の外を見やるが、別段変わった様子もない。
のどかな田舎の風景が広がっているだけだ。

「おい、キラ」

返答の代わりに、綺羅の唇がぽつりと漏らした。

「明日がおそらく…」

「はあ?」

思わず朔夜が眉根を寄せたとき、唐突に綺羅の顔が朔夜に向けられた。

「ちょっとサク!いつまでのんびりミルク飲んでるつもりよ!撤収よ、撤収!部屋に戻って作戦会議!」

「え?今から?」

「今しないでいつするの!ほら、分かったら走る!」

相棒の急な変貌についていけない朔夜の襟首を掴むと、綺羅はそのまま彼を引きずるように、食堂から走り去っていってしまった。

昨夜とまったく同じように、ヒールの音を響かせながら。

「…あれ?なんだか似たような光景を昨夜も見たような気が…」

「あいつら、ほんと毎日楽しそうだよな…」

朱里と小夜は二人そろって、綺羅と朔夜の消えた方角をぼんやり眺めているのだった。




二人が立ち去った後の食堂は、ようやく本来の静けさを取り戻したようだ。
再び朝の穏やかな空気が食堂内を満たしていく。

「う〜ん」

そんな中、場の空気にそぐわない苦悶の声が小夜の口から漏れた。

小夜は綺羅たちが去っていった後からずっと、一冊の本を前に考え込んでいるようだった。

それは言うまでもなく、幻月花について記された例の本だ。

「何悩んでんだよ。さっきからやたら、うんうん唸ってるけど」

小夜の隣の席で、楽しげに小夜の様子を眺めていた朱里は、苦笑混じりに尋ねてみる。

小夜が真剣な顔で考え込む姿など、なかなか見られるものではない。

本人には悪いが、傍から見ていると思わず笑ってしまいそうな光景だった。


本の文字を食い入るように見つめていた小夜が、ようやく顔を上げて朱里を見た。

困惑した表情のまま小夜が答える。

「さっきの文なんですが、何度読んでもなかなか分からなくて…。綺羅さんはすぐに理解されたようでしたのに…」

唇を突き出してぽつりと言う。
朱里は思わず小夜の顔を覗き込んでいた。

「お前、もしかして…綺羅に対抗意識燃やしてるのか?」

「えっ」

驚いたふうに小夜が朱里を見返してきた。

「たいこういしき?」

聞き慣れない言葉を口にするときのように、小夜の発音が若干覚束なくなる。

当然知らない言葉のわけはない。
本人も無自覚の感情を言い表されて、戸惑ってしまったせいだろう。

そういえば、と朱里は思う。

「お前が女のトレジャーハンターに会うのって、これが初めてだもんな」

しかも、向こうも自分たちと同じ男女のペアだ。

意識するなというほうが難しいかもしれない。

自分と似た境遇の人間に出会うと、つい自分と比べてしまうのが人というものなのだから。

「あの綺羅ってやつ、性格はおいといて、トレジャーハンターとしては行動力ありそうだもんな。こんな寒い中をあんな格好で走り回れるくらいパワフルだし」

若干皮肉った言葉だったが、小夜が笑いを漏らすことはなかった。

「そうですよね…。頼りになりそうな方ですもんね」

なぜか急に肩を落としてしまった。

朱里は小夜の突然の落ち込みように内心首を傾げながらも、場を取り繕うように笑ってみせた。

「ま、同じ女ハンターの仕事ぶり見るのも勉強になるし、しっかりあいつから学べるものは学んどけよ」

話を切るように朱里は席を立つ。

小さく頷いた小夜の表情は、横髪に隠れてよく見えなかった。



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