両親や里の大人たちの反応に、ようやく綺羅にも大変なことが起きたのだと理解したのは、朝を迎えてだいぶ経った頃だった。
明け方に大きな荷物を抱えて朔夜の家を訪れた綺羅のことを、両親は何も言わなかった。
聞かなくても全て察していたのか、それどころではなかったのか、綺羅には想像がつかない。
朔夜一家の惨状に、大人たちは朝から大騒ぎだった。
朔夜の母親は鋭利な刃物で首を一刀されたことによる即死。
父親は胸に深々と刃物の刺さった傷が致命傷となったらしい。
そして朔夜は。
「綺羅、こっちに来なさい!」
険しい剣幕の父に呼ばれて、寝床でぼんやりと天井を見つめていた綺羅はようやく体を起こした。
父の大きな手に引かれてすぐ近くの里長の家に駆け込む。
わずかに軋む廊下を抜け、扉を開いた先にあるものを見て、綺羅は目を大きく見開いた。
「朔夜?」
窓辺に設けられたベッドの上に、目を閉じた朔夜が身を横たえていた。
父と並んで部屋に入り、ベッド側に膝を折って朔夜の顔を覗き込む。
いつもよりも真っ白な血の気のない顔。首には真新しい包帯が巻かれていた。
「この子だけはまだ息があったみたいだ。良かったな、綺羅」
父の手が綺羅の頭をごしごしと撫でる。
目線だけ上に向けると、手のひらの隙間から悲しげに笑う父の顔が見えた。
綺羅は無言のまま朔夜に視線を戻す。
「父さん、朔夜はいつ目を覚ますの?」
「父さんにも分からない。この子がどれだけ頑張れるかだ」
父はその後朔夜の家の片づけに向かうと告げ、部屋には綺羅と朔夜だけが残された。
「どれだけ頑張れるか…」
先ほどの父の言葉を反芻する。
朔夜は今までもずっと父親からの暴力に耐えて頑張ってきた。それなのに今もまた頑張らなければならないのか。
ベッドの側に座り込んだまま、綺羅は朔夜の横顔を見つめ続ける。
目を覚ましたら、何と言おう。
もう大丈夫だよ、とでも言えば朔夜はこれ以上無理をしなくてよくなるのだろうか。痛みと恐怖にじっと耐えなくても済むのだろうか。
どれだけ朔夜の寝顔を見つめても、答えはそこに見つからなかった。
全ては父親の暴走による一家無理心中。
里の大人たちの間ではそう結論が出たようだった。
決定打は父親が握り締めていたナイフの存在だったらしい。
自らの妻の首を切って殺害し、息子も同様に殺害したと思い込んだ後、己の胸を一突きにして自害した。
事の成り行きはそういうことらしい。
父が母に話しているのを、綺羅は寝床の中でぼんやり盗み聞きしていた。
自分の手のひらをじっと見つめ、鼻に当てて匂いを嗅いでみる。
何も残っていない。大丈夫。
無意識に服の裾で両手のひらを拭いながら、綺羅は両親に気づかれないよう床を抜け出して家を出た。
外は真っ暗だ。
いつものように星が瞬き流れていくのを眺めつつ、足が向かうままに歩いた。
そして辿り着いたのは見慣れた場所。
はあと息を吐くと、うっすら白い靄が流れていく。
両手をさすって寒さを誤魔化しながら、綺羅はいつものように空を見上げた。
この世界は美しくない。
それでもここだけは、自分にとってとても神聖な場所だった。
だけどそれもおしまいだ。ここに朔夜は来ない。
自分も汚れてしまった。
頭の中にはずっと赤い映像がこびりついている。
自分の両手のひらを見る度に、この世界はぞっとするほどに醜く、自分も同じくらい醜いのだと思い知らされる。
やぐらの手すりを握り締めたまま、綺羅の体は小刻みに震えていた。
寒さのせいではない。睨むように夜空を見据え続ける綺羅の目から、ぼろぼろと大粒の涙がこぼれては足元を濡らしていく。
どうしてあんなことをしてしまったんだろう。
後悔はしていない。
だが自分の行為が正しいとも思えなかった。
「うえっ、えっ…」
嗚咽を漏らしながら綺羅は泣き続ける。
幾つもの星が残滓の跡を描いて空を流れていった。