「まずは一度家に戻って、荷物を集めよう。そうしたらまたここに集合だ」
「うん、それじゃあまた後で!」
ちょっとした遠足気分だった。
物見やぐらの下で朔夜と軽く手を振り合い、綺羅は弾むように家路を駆けた。
家に着くと、家族はみんな寝静まっているようだった。
物音を立てないように忍び足で棚を漁り、これからの旅に必要なものをかき集めていく。
間食用の甘い干し芋にお気に入りの飴玉、それから心配するだろう家族に宛てる手紙を書くための羊皮紙。窓辺に飾られた家族写真は額縁のまま袋の中に押し込んだ。
眠る母と父に心の中で別れを告げ、綺羅は荷物を詰め込んだ袋を背に抱えて家を出た。
空を見上げる。まだまだ夜は終わりそうにない。
一人拳を握り締めて大きく息を吸い込むと、綺羅は集合場所の物見やぐらへと駆け出していった。
おかしいな、と思ったのはいつの頃だっただろう。
朔夜を待ち続けている間に月はだいぶ低い位置に下りてきた。遠くの空ではうっすらと朝焼けの色がのぞいている。
このままでは里を出る前に、早起きした住人に見つかってしまうかもしれない。
「もしかして寝ちゃったのかな」
足元に伸びた草をつま先でいじりながら、綺羅は朔夜の家がある方角に首を向けた。
迎えに行こう。
せっかちな綺羅がその結論に至るまでにそう時間はかからなかった。
重い荷物を揺らしながら、ようやく朔夜の家の前に辿り着く。
「あれ?」
綺羅は小さく声を漏らした。
まだ夜も明けていないというのに、不思議なことに朔夜の家からは煌々と灯りが漏れていた。
ひょっとして親に見つかったのかなとも思ったが、そのわりに周囲は静けさに包まれている。
首を傾げながら、綺羅は入口の木戸を音を立てないようにそっと押し開いた。
暗闇に慣れた目を細めながら、戸の隙間から中を覗き込む。
木の梁が縦横に重なる天井からぶら下がったランタンが、キィキィと歪んだ音を立てて揺れているのが見えた。
そして、その灯に照らされた室内は。
──赤い。
最初に感じたのはそれだった。
隠れていたのも忘れて扉を開くと、綺羅はそのまま躊躇うことなく部屋の中へ入っていった。
ぺたぺた、ぺたっ、ぺたっ。
足を上げる度に湿った音が室内に響く。
広間と言っても人が数人も入ればいっぱいの部屋の中には今、綺羅を含めて4人の人間がいた。
綺羅、朔夜の父親、朔夜の母親、そして朔夜。
ただこの中で動いているのは綺羅一人だけだ。
3人を順に見下ろして綺羅は首を傾げる。
一体何なんだろう、これは。
赤、赤、赤。視界いっぱいに赤が塗り尽くされている。
折り重なるように倒れた三人も真っ赤だ。
寝間着姿の朔夜の母親は、天井を見つめるように目を見開いたまま、不思議そうに口をぽかんと開けていた。
首も胸も赤く染まって、顔にも数えきれないくらいの赤い飛沫が飛んでいる。
朔夜の母親の肩口に顔を押し付けて倒れている父親は、綺羅からは後頭部しか見えない。
顔を覗き込もうと思ったが、なんとなく触るのが躊躇われて、綺羅は父親から視線を逸らした。
そして、その二人の側に背を丸めて眠っているように倒れているのが朔夜だった。
朔夜の首も赤い。
まるで真っ赤な布でも巻いているかのように。
「朔夜?」
側にしゃがみこんで声をかけてみた。
返事はない。
軽く肩を揺さぶってみる。
そのとき、朔夜の手からカランと何かが音を立てて床に転がった。
見ると朔夜のすぐ脇に、小ぶりのナイフが転がっていた。
綺羅の家でも母が料理のときによく使う型のナイフだ。このナイフで器用にリンゴの皮をくるくる剥いてくれる母の手を眺めるのが、綺羅は好きだった。
どうしてナイフがこんなところにあるんだろう。
それに、どうしてこんな。
綺羅の目の前に転がっているナイフには、赤い粘着質な液体がべったりと絡みついていた。