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綺羅星を探して
鮮やかな赤いストールが朔夜の首元で揺れる。
前を行く相棒の背中を眺めながら歩いていた綺羅は、思わず目を逸らした。
赤は嫌いだ。
嫌でもあのときの光景が頭に蘇ってしまうから。
視界を覆う、一面の鮮烈な赤の世界。
むせ返るような濃い鉄の匂い。
鮮血の海。
地獄が本当にあるのだとしたら、まさしくあの日のあの場所こそが、綺羅にとっての地獄だった。
“星降りの地“という意味を名の由来に持つ小さな里で、綺羅と朔夜は生まれ育った。
名前のとおり、夜になると降り注がんばかりの流れ星が、空の海を渡る舟のように軌跡の波を立てながら流れていった。
周りを深い森に囲まれた里は気候も人の気質も穏やかで、時間もゆったりと流れていた。
里には子どもが何人もいたが、その中でもとりわけ綺羅と朔夜は近くにいることが多かった。
似た者同士と言うわけではない。
空に輝く綺羅星と、月を失った朔の夜。
対照的な名を持つ二人は、気づけば互いの側にいた。
いつの頃からだろうか、幼い綺羅と朔夜は流れ星を眺めるのを習慣としていた。
村はずれにある物見やぐらに登り、肩を並べて夜空を見上げる少年と少女。
言葉にすればそれはとても美しい光景に思える。
だが当人たちからすれば自分たちを覆う現実は決して美しいものではなかった。
広くもないやぐらの中、隣に佇む朔夜を横目で見ながら綺羅は口を開いた。
「今日もなの?」
「うん」
朔夜の方は綺羅を見ない。まっすぐに視線を夜空に留めたまま、首だけをうなずかせる。
「平気?」
「いつものことさ」
綺羅の問いかけに応える朔夜の口調はひどく大人びていた。
淡い闇の中にいるせいではっきりとしないが、その横顔はどこか世の中を諦めた哀愁の色まで漂わせているようだった。
このとき綺羅は10歳、朔夜は11歳だった。
綺羅の真っ直ぐな黒髪は肩に触れない辺りで切り揃えられており、顔には無邪気なあどけなさしかない。
朔夜も大人びているとは言え、顔立ちは子どものそれだった。今のように髪はぼさぼさではなく、前髪も眉毛の上で短く切り上げられ、つるりとした額が露わになっているせいか、それが少年らしさに拍車をかけていた。
ただ、普通の少年にはないものが今の朔夜にはあった。
右目のすぐ真下、頬骨の辺りに色濃く浮かんだ青い痣。それが人為的なものに起因していることは誰が見ても明らかだった。
心配そうな視線を投げかける綺羅に顔を向けることなく、朔夜は真っ直ぐに空を見据える。
意思の強そうな澄んだ瞳には、小さな星空が映り込んでいた。
隣の綺羅も再び空に顔を戻すしかなかった。
「ちょっと冷えるね」
落ちてきそうなほど星の溢れ返った空。
小さなやぐらの下、並んで静かに佇む少年と少女。
投げ出されていた二人の手が無言のまま触れ合い、軽く結ばれる。
眼前に広がるのは泣き出しそうなほど綺麗な星空なのに。
この世界は美しくないことを、幼い二人は知っていた。
「ねえ、どうして?」
どうしても理解できなかった。納得いかなかった。
「どうして朔夜もうちで一緒に暮らしちゃだめなの?」
母親の前掛けを握り締めながら、綺羅は問い質すように母の顔を見上げた。
「うちに来なよって言ったら、きっと朔夜喜ぶよ」
「朔夜には朔夜の家があるだろう。うちはお前のことだけでいっぱいいっぱいなんだよ」
ぱくぱくと動く母の口を見つめて綺羅は唇を噛み締める。
嘘ばっかり。
綺羅は知っている。
日に日に膨らんでいく母のお腹には、新しい命が宿っているのだ。
それならまず先に朔夜を救い出してくれればいいのに。
「母さんのけち」
きっと今もまた、あの赤ら顔の父親に殴られて痛い思いをしているに違いない。そしてそんな息子と夫の姿を、朔夜の母親は見て見ぬふりしてやり過ごしている。
朔夜が暮らしているのはそういう歪な家なのだ。