応接間に一つだけある窓は、ちょうどトオヤの座るソファの後ろに位置していた。
今は部屋に新鮮な空気を取り込むためか、大きく開放されていた。
あの窓の向こうに小川でも流れてんのかな。
ちょっとした好奇心に背を押される形で、朱里は窓のほうに歩み寄った。
なるべく音を立てないよう注意したが、話に熱中している二人には余計な気遣いだったかもしれない。
腰の高さにある窓の縁に手を乗せ、下を覗き込んでみる。
屋敷のすぐ側まで生い茂った低木の緑の頂きが、眼下に広がっていた。
どうやらこの窓の下は、屋敷の裏側に当たるようだ。
さすがに一人では裏庭にまで手が回らないのだろう。
かなりの草木が無秩序に生え茂っている。
確かにどこかで光が反射したはずなんだけど。
木々の隙間にじっと目を凝らすが、特に小川のようなものはなく、天井に波紋を生み出すような水源はどこにも見当たらない。
もっとよく見ようと、朱里が窓の向こうに身を乗り出したときだった。
「──何してる」
突如響いた鋭い声が、背後から朱里の動きを止めた。
振り返るとそこにはソファに腰かけたまま、朱里を見つめる一対の目があった。
口角は変わらず上がっている。
だが、その瞳は先ほどとは明らかに種類が違う。
一瞬自分に向けられたトオヤの目が爬虫類のそれに見えて、朱里は思わず唾を飲み込んでいた。
奥の席には、小夜が何事かとこちらを不安げに見つめているのが見えた。
咄嗟に朱里は取り繕う。
「いや、なんかでっけえ虫がいたからさ。つい」
頭を掻いて、努めて何食わぬ顔でそう答えた。
小夜がふふっと声に出して笑いを漏らした。
「小さい男の子みたいですね、朱里さん」
「うっせえ。男はいつになっても虫が好きなんだよ」
悪態をつきながら小夜の隣に勢いよく座ると、朱里は腕を組んでソファに身を沈めた。
ちらりと盗み見たトオヤは、何もなかったかのように笑顔でこちらのやり取りを眺めている。
まただ。
以前も襲われた嫌な予感に背筋が粟立つのを感じて、朱里は誤魔化すように目を閉じた。
この感じは何なんだろう。
答えを探るように、喉の奥に残る違和感に意識を集中させるが、それもいつの間にか溶解して、結局理由の分からない後味の悪さだけが口内に残っていた。
ただ、漠然と不安に駆られてしまう。
そんな感覚だ。
朱里を置いて、二人の話は続く。
「それで、今のシルドラを治めているのが、私の知っているファール王の息子さんということですか?」
「ええ。即位したのはほんの一、二年前と聞きます。ファール王が急死したことで急遽王になったそうですが、噂では、王子自らがファール王を殺めて王位を奪ったとか。そもそも王の亡くなった原因というのが不明らしくて、さらに土葬が一般的な中、あえて王子が火葬を望んだという話があるので、こういう噂も立つのでしょうが」
噂はあくまで噂だ。
その点は朱里も激しく同感だが、その王子の取った行動は誰が見ても不自然だ。
やっぱり噂のとおりなのかな、と朱里はぼんやり考える。
小夜のような奴がいる反面、世の中には王位につきたくて堪らない奴もいるのだ。
「これは有名な話ですが、ファール王が統治する時代からシルドラの民は納める税の高さに四苦八苦していると聞きます。そしてそれは、新しい王になっても変わらないとも」
苦々しげに言い捨てて、トオヤはそれきり口を閉ざした。
どうやら話はここまでのようだった。
朱里は思わずふうと息をついた。
これでようやく解放される。
「じゃあ、俺は散歩にでも」
伸びをしながら立ち上がったとき、隣の小夜が朱里の服の裾を摘まんで、物言いたげに見上げてきた。
「あの、朱里さん」
「なんだよ」
「よかったら、ちょっと私に付き合ってもらえませんか?」
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