「…すみません。ですが、あなたもお父上も、お一人で何かを抱えているように見えてしまって歯がゆいんです…!どうしてもっと周りを頼ってくださらないんですか」

懇願するようなトールの言葉に、ロキは乾いた笑いを返す。

「お前には話しても分かるまい」

体の横に流したトールの拳が強く握り締められるのが見えた。

床に注がれた視線は、怒っているのか傷ついているのか、そのどちらとも取れる。


「…ええ、分かりませんよ。私には今の殿下の考えはまったく分かりません…!」


自分は差し出された手を、容赦なく叩き落としてしまったのだろうな。

思いながら謝罪することもなく、ロキは再び天井に視線を巡らせた。


父は偉大な人だった。
一国の王らしく高潔で勇敢で、そして絶望的なまでに孤高だった。

ロキはそんな父を誇りに思っている。

もちろんそれを誰かに漏らしたことはない。
最も近しい立場にいる、このトールという男にもだ。

尊敬しているからこそ、父の名声をこれ以上貶めたくはなかった。
故に、父から継いだ問題も自分一人で抱え込むしか術はないのだ。

幸い自分は、王子である頃から周囲の評価が低い。

若い頃は遊び回ってばかりの愚か者。
それが今では父王を弑した冷酷非道の反逆王だ。

笑ってしまうほどの浮名だが、それはロキにしても好都合だった。

自分の名が落ちれば落ちるほど、先王の時代はよかったと、父の名が上がる。


ただ、このまま状況が変わらなければ、トールの言ったとおり反乱を引き起こしてしまうのは目に見えている。
さすがのロキも国が滅ぶことを望みはしない。

そんな折のマーレンからの協定の申出だ。
やはりこれを利用しない手はないだろう。


視線をトールに転じると、ロキは数分前のやり取りなど意に介さない様子で口を開いた。

「お前にも先日聞かせたマーレンからの申出の件だが」

まだロキの言葉を引きずっているだろうトールには気づかないふりで、先を続ける。

「承諾しようと思う」

トールの目が意外そうに見開かれた。

「なぜ?」

「少し思うところがあってな。そこでお前からの報告だ。あの男の出生から今に至るまで全てを洗いざらい話せ。あいつの親元まで訪ねてきたんだろう」

数日の間トールが城を空けていたのは、ロキの命でとある田舎の村を訪れていたからだった。

トールは神妙な顔で頷くと、重い口を開いて話し始めたのだった。


****



すっかり遅くなってしまった。

星が瞬き始めた夜空を見上げて、トールは城下の海に面した通りにある自宅の扉に手をかけた。

過酷な税制に対する各諸侯からの鬱憤、新王への民の失望。それに加えて隣国との利にならない協定を結ぼうとするロキの見えない真意。
問題は山積みだ。考えるだけで頭が痛い。

ため息をつきながら扉を開くと、光の満ちた明るいホールに鈴の音のような声が響いた。

「パパ!おかえりなさい!」

アーチを描いて二階に続く階段を、パタパタと元気な音を立てながら幼い少女が二人駆け下りてくる。

トールは頬を緩めて二人の我が子を抱き上げた。

「ただいま。今日も元気にしてたかい?」

そっくりな顔をした少女たちが、父であるトールにそろって笑顔を向ける。

「うん!たくさん遊んだの」

「母様とお買物にも行ったのよ」

「それはよかったね」

トールが笑顔をこぼしたときだった。
少女たちに続いて階段を下りてくる妻の姿が目に入った。

「あなた、お帰りなさい」

「ただいま。遅くなってごめんよ。…何かあったのかい?」

普段の穏やかではつらつとした妻とは違う、どこか緊張した面持ちにそう尋ねると、妻はホールの奥を振り返りながら答えた。

「あなたに会いたいってお客様がお見えなの。応接室にお通しはしたんだけれど…」

言いにくそうな妻に変わって、トールの腕に抱えられた娘たちが続ける。

「なんだかとても怖いお顔のおじさんだったわ」

「あいさつしても何にも返してくれないの」

頬を膨らませる娘を視界に入れながら、トールの意識はもっと違うところを漂っていた。


やはり運命は動き出してしまったのだ。

足元がぬかるみに沈んでいく感覚に襲われて、トールは娘たちをそっと床に下ろす。

そこで不安そうにこちらを見つめる妻と目が合った。

「大丈夫だよ」

努めて明るい声で答える。

なお顔を曇らせたままの妻の体を抱き寄せると、トールはその頬に手を添えてにっこり微笑んでみせた。

「約束しただろう。君たち家族のことは僕が絶対に守ってみせるから」

たとえどんな犠牲を払おうとも。

その思いは胸の中に深くしまっておいた。


****



「いたたた…」

後ろから呻き声が聞こえて、小夜は物思いに耽っていた顔を上げた。

ドレッサーの鏡の向こう側で、小夜の背後に立つライラが顔を渋くして二の腕をさすっているのが見えた。

「大丈夫ですか?」

「いやあ、さすがに張り切りすぎましたかね。これ以上腕上がらないです」

苦笑いを浮かべながら、鏡の中のライラが腕を持ち上げてみせる。

昼の間中、進んで肉体労働を買って出てくれた姿を思い出して、小夜は笑顔をこぼした。

「今日は本当にありがとうございました。ライラと皆さんのおかげで苗も全部植えられましたし、あとは花が咲くのを待つだけです」

「あれだけ広い花畑ですからね。きっと見ごたえあるんだろうなあ」

ライラの言葉に、幼い頃の中庭の風景が甦った。

青空の下、一面に広がる花の海。
風が吹く度、花びらが踊るように空を舞う。

そんな景色を見上げているときだけは、いつも幸せを感じられた。


「花が咲いたら、みんなでお花見しましょう」

「ランチも持ってね」

ふふっと鏡越しに笑い合った後で、ライラが再び小夜の髪を梳く手を動かし始めた。


「きっと今頃みんな筋肉痛に泣いてるんでしょうね。トオヤ様なんか特に張り切って動いてたから、今頃地獄見てますよ」

歯を見せて意地悪にほくそ笑むライラ。
ふとその目が小夜の首元に留まった。

「あれ?これも外しておきましょうか?」

小夜が首から下げたネックレスのことを言っているらしい。
小夜は小さく首を振って答えた。

「いえ、これは大丈夫です。眠るときもずっと着けていたいので」

触れた先で小さな花びらが揺れて、中央の石がきらりと光る。


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