カウチソファの横から投げ出された褐色の足がぷらんと揺れた。
片手を頭の下に敷いてソファに寝そべったまま、ロキはじっと天井を見つめていた。
かれこれ一時はこの体勢だ。
もちろん目を開けたまま眠っているわけではない。
海の青を湛えた瞳の裏では、あるやりとりが繰り返されていた。
『私の国と、協定を結んでいただけませんか』
そう口にしてこちらを真っ直ぐ見つめてくる少女の強い眼差しが、先ほどから幾度となくロキの脳裏に甦る。
女にはいくつもの顔があると言う。
柔らかなシルクのように、風が吹けば簡単にどこかへ飛んでいきそうだった姫の印象は、あの一瞬で見事に形を変えた。
国を統べる者の風格というよりは、姫自身が生まれながらにして持つ芯の強さが表れたのが、あの眼差しだったに違いない。
「どうするかな」
ソファから無造作に投げ出した足を揺らしながら、ロキは一人呟く。
姫のことは個人的には嫌いではない。むしろ興味が湧く種類の人間だ。
ただ国同士の問題にそういった個人的感情を持ち出してしまっては、埒があかないのが実際のところだ。
マーレンはシルドラと比較すれば圧倒的に小さく経済面でも劣っている。協定を結ぶには二国間の差が開きすぎだ。
本来ならば姫からの申出も一笑に付して、それで終わりにするところだろう。
ただ…。
ロキは目を細めて天井に鋭い視線を注いだ。
我が国にも大きな問題がある。
父の置き土産という名の、負の遺産の存在だ。
対等ではないからこそ頼みやすいこともある。
そう考えれば、マーレン国と協定を結ぶのも悪いことではないのかもしれない。
そこまで考えたところで、部屋の扉がノックされた。
「入れ」
訪問者の予想はつくので、ソファに寝そべったまま出迎える。
思ったとおりトールが書類の束を抱えて入ってきた。
それを見た途端、ロキの顔がうんざりしたように歪む。
「坊ちゃん、またそんな恰好でぐうたらして!少しは仕事にもやる気を出してくださいよ」
「今まさに頭の中で仕事をしていたところだ。お前こそ久しぶりに顔を出したのに手土産もなしか」
その言葉に、トールは抱えていた束を勢いよくロキの胸に押しつけた。
「これは全部あなたへの土産です。しっかり目を通してくださいね。各地の諸侯からの苦情と悲鳴が書き連ねられてますから」
ロキの口からため息が漏れる。
トールが重ねるように言った。
「諸侯たちの気持ちもお考えください。国からいつまで経っても税制引き下げの命が下りないせいで、今もずっと民と国との板挟み状態の中を統治してるんですよ。民からの反乱を受け、没落していった者も少なくありません。すぐにでも策を講じないと」
「分かっている」
「分かっているなら、なぜ税制の見直しをされないんですか。これ以上民の負担が続けば、あなた自身にも火の粉が飛んでくるのは必至です。暴動が起きれば城下だって荒れます。そうなれば…」
そこでトールの顔が曇りを帯びる。
彼が何を思い浮かべているのかは想像に難くない。
ロキは苦笑して言ってやった。
「安心しろ。何かあればお前たち家族は一番に町から逃がしてやる」
「そういうことを言ってるんじゃありません!」
一際大きくトールの声が室内に響いた。
「あなたのお父上の代から始まった無茶な税制を、なぜあなたまで続ける必要があるんですか!お父上のやり方を改変するつもりがないのなら、あなたはなぜお父上を…」
そこまで声にして、トールが我に返ったように口をつぐむ。
ロキは無言でトールを見返していた。その瞳に冷たい青を湛えたまま。