燭台の上の蝋燭はすっかり短くなっていた。
ちらちらと小さな火がトオヤの手元で燃え尽きようとしているのが、妙に不安をあおる。
唯一の灯りを失ってしまえば、目の前に佇む人の形をした闇に飲み込まれてしまいそうな気がした。
朱里自身、自分が普通の人間だなどと言えるほど自尊心は強くない。
それでも前に立つこの男は何かがおかしかった。
朱里とも、朱里の周りにいるどの人間とも違う。
どこがどう違うのかと問われても答えようはない。
ただこの男の話を聞いていると、漠然と気持ちの悪い違和感が胸にわだかまるようだった。
「──あの後」
沈黙を破って、再びトオヤが口を開いた。
「ハンガル兵の去った城を訪れて、びっくりしましたよ。王は息絶え、唯一の王女でさえ城を捨て国を出たというのですからね。崩れた城だけ残されても何も意味がない。そこで再び私の夢は頓挫してしまいました」
何が可笑しいのか、口元に笑みを浮かべてトオヤは朱里の顔を見返してきた。
「姫との旅路はさぞ楽しかったでしょうね。健気に自分に尽くしてくれる可憐で純真な姫君を手に入れて、あなたも存分に甘い蜜を吸えたんじゃないですか?」
「…何が言いたい?」
朱里の問いにも、トオヤはいやらしい薄笑いを浮かべるだけだ。
再びその手元で炎が小さく揺らめいた。
「私はね、気づいたんですよ。あまりに人の夢を妨害する輩の多いこの世界で、どうやったら自分の夢を叶えることができるのか」
炎の灯を受けて、その双眸が血を浴びたように赤く染まる。
トオヤはにたりと音がしそうな笑みを顔に貼りつけて言い放った。
「みんな消してしまえばいい。私の邪魔をする者は、誰も彼も全員」
焦点の合わない顔で笑うトオヤを睨みつけて、朱里は口を開く。
「だから俺も殺すのか」
にっこり笑ってトオヤが答えた。
「ええ。機会があれば、すぐにでも」
ついにそこで蝋燭が息絶える。
闇に飲み込まれた無の世界で、くすくすと小さな笑い声が空気を揺らして聞こえた。
硬い靴音が床を打ち鳴らす。
目を細めてトオヤの姿を探す朱里だが、濃い闇に覆われてそれも叶わない。
ふと、足音がぴたりと止んだ。
闇の中からトオヤの声が響いた。
「夢の邪魔といえば、姫もあなたと共犯でしたね。私に守られるべきなのを、どこの馬の骨とも知れないあなたと逃げた」
その冷たい声音に、背筋が粟立つ。
咄嗟に朱里は鉄格子を掴んで、声のするほうに叫んでいた。
「やめろ!あいつに手を出すな!」
どこからかまた、くすくすと笑い声が響いた。
「それは姫次第ですね」
闇の中を冷たい靴音が遠ざかっていく。
まるで死地に誘う死神のように、トオヤの気配は黒い闇に溶けていった。
「…くそっ!」
残された地下牢に激しい金属音が轟く。
拳で鉄格子を殴りつけて、朱里はすがるようにそれを握り締めた。
うなだれた頭の下から声が漏れる。
「…何やってるんだ…。こんなところで俺は何やってるんだよっ…」
こんな細い鉄格子くらい、師匠なら簡単に蹴破って脱出できたはずだ。
人を操る能力を持つジライなら、脱出する方法は無限にあったはずだ。
それなのに、俺は…。
「ここから抜け出すこともできなくて、何がトレジャーハンターだ…。肝心なときに側にいてやれなくて、何があいつの相棒だよ…!」
今の朱里にできるのは、無力で無能な自分を恨むことだけだった。
爪が手のひらに食い込むほど強く拳を握り締めたまま、朱里は床に膝をつく。
「…ちくしょう…」
闇の中に再び鉄格子を叩きつける金属音が響いて、それきり世界は沈黙した。