灰色に塗りつぶされた世界を、トオヤはただ一人歩き続ける。
「口にするのは綺麗事ばかり…」
父と母の笑顔が目の裏に浮かんで、思わず乾いた笑いを吐き出していた。
「何が信じているだ。何が師がいいからだ。全部全部、嘘ばっかりだ」
頭の中の父と母の笑顔がぐにゃりと歪み、口の端が耳まで裂けた恐ろしい化け物に変わる。
げたげたと自分に浴びせられる嘲笑の声に、トオヤは耳を塞ぎ目を固く閉じた。
「やめろ…!笑うな!どうして僕ばかりが地獄を見なきゃいけないんだ…!いつもいつもどうして僕ばかり…」
そこまで呟いて、トオヤはゆるゆると顔を上げた。
ぽっかり開いた空洞のような瞳が宙空を漂う。
「そうだ…」
その口元にうっすらと笑みが刻まれた。
「僕だけが苦しむなんておかしいじゃないか。神の前には皆平等のはずだ。それなら彼らも同じように地獄に落ちるべきだ…。そうだ、どうして気づかなかったんだろう。それこそが自然な形じゃないか…」
誰にともなく呟いて、トオヤは初めて後ろを振り返った。
いつの間にか屋敷の外の広場まで出ていたらしい。
自分の眼前に佇む大きな屋敷を見上げて、トオヤは心の底からの笑みを顔面にあふれさせた。
それは、先ほどまで彼の頭の中で狂い笑っていた父母の顔とまったく同じものだった。
神は自分を見放さなかった。
機会はすぐに訪れた。
その日トオヤは、朝から屋敷前の広場で剣を振るっていた。
今となっては弟も母もまったく見学にも来ない。
だがトオヤにとってはそのほうが好都合だ。
他人の目は邪魔にしかならない。
額にうっすら浮かんだ汗を拭って、再び剣を握り直そうとしたときだった。
どおん、と地面が揺れるほどの轟音が辺りに響いた。
実際に周囲の木々もぐらぐら揺れているのが視界に入って、トオヤは空を仰ぎ見る。
「なんだ?」
そこに二度目の轟音が鳴った。
今度は自分の立つ地面までもが激しく揺れた。
地震?爆発?
警戒して辺りを見回していると、屋敷の大扉が激しい音を立てて、中から父が飛び出してきた。
「トオヤ!何があった!?」
「いえ、それがよく分からなくて。爆弾のような音が…」
トオヤの言葉に父は何か思うところがあったのか、顔を渋くさせて城のある方角に顔を向けた。
「…まさかハンガルが…」
「ハンガル?」
トオヤの問いにも答えない。
トオヤも父の視線の先を追ってみたが、木々の緑に遮られて城の尖塔の先端すら見ることはできなかった。
ただ父の様子からすると、何かとてつもないことが起きているらしい。
トオヤは手に持った模造剣を握り直すと、父を振り返って言った。
「父上、私が町の様子を見てまいりましょう。父上は母上たちをお願いします」
「待て、トオヤ。これを持って行きなさい」
父が差し出したのは、それまで自分が腰に携えていた剣の鞘だった。
受け取った瞬間に、本物だと分かる重みが手首にかかる。
「もしものときは迷わず抜きなさい」
父の言葉に頷きだけ返して、トオヤは剣を片手に駆け出した。
普段どおり人気のない静かな森の小路を抜け、町の中心部に足を踏み入れる。
途端、何かが焦げついたような異臭が鼻腔をついて、トオヤは眉をしかめた。
何の臭いだろう。
目が染みる。
手の甲で鼻を押さえながら大通りに出たところで、目前に広がった光景に絶句した。
普段人と店で賑わいを見せる華やかな大通りは、今や見る影もなく瓦礫の山と化していた。
あちらこちらで火の手が上がり、煙が立ち上っている。
瓦礫の中に倒れた黒塊は、すぐにそれが人間だとは気づかないほど変わり果てた異形をしていた。
…何があったんだ。
灰の舞う死の町に、トオヤはただ茫然と立ち尽くす。
答えを探すように視線を彷徨わせていると、通りの奥のほうを進む兵士の背中が見えた。自国の兵士ではない。
甲冑に刻まれたその紋章には見覚えがあった。
そこでようやく先ほど父が漏らした言葉の意味を悟った。
つい先日、王女と王子が婚姻関係を結んだはずのハンガル国が攻め入ってきたのだ。
なぜ?とは思わなかった。
それ以上に心の大半を占めることがあったからだ。
心臓の鼓動が早くなる。
口内の唾を飲み下して、トオヤは地獄絵図のような周囲の景色をぐるりと見回した。
半壊し混乱した町。
腰に下げた真剣。
一同に会した家族たち。
幸運にも条件はすべてそろっていた。
腰にかけた鞘を握り締めると、トオヤはそのまま身を翻していた。