そんなある日、一人で剣を振るトオヤの元に、母が弟を連れてやって来た。
「トオヤ、よかったらこの子にも剣を教えてあげてくれないかしら?兄様と同じことがしたいって言って聞かないの」
母の隣で木の剣を抱えた弟は、目をキラキラ輝かせてこちらを見上げていた。
トオヤは苦笑して答える。
「いいですよ。でもすぐ泣くんじゃないの?木の剣だって、当たったら痛いんだよ」
後半は弟に対してからかうように言ったものだった。
弟がぶんぶんと首を横に振る。
「なきません!ぼくだって兄さまみたいにつよくなりたいんです!」
「よし。男に二言はないね」
大きく頷く弟の頭をポンポンと撫でて、トオヤは微笑んで言った。
「それじゃあ、稽古を始めよう」
それから毎日のように、弟はトオヤの稽古について来た。
初めの頃は剣を持ち上げるだけで精一杯だった弟も、日を追うごとに進歩していった。
前でかけ声とともに剣を振り下ろす弟を見ながら、トオヤはしみじみ感心する。
少し離れたところには、こちらを見守る母の姿も見えた。
「母上、この子は将来有望かもしれませんよ」
トオヤが声をかけると、母は嬉しそうに微笑んで言った。
「それは師がいいからでしょう」
優しい母の言葉に、思わずトオヤもはにかみをこぼす。
そこに弟がトオヤの服の裾をつまんできた。
「兄さま、ぼくと手合わせしてくださいませんか?」
「手合わせ?」
「はいっ。ずっと剣をふってばかりでは飽きてしまいます。ね?いいでしょう?」
言って無邪気な顔で見上げてくる弟に「しょうがないな」と返すと、弟は飛び跳ねて喜びを露わにした。
確かにずっと剣を振っているよりは、多少人を相手にしたほうが成長も早いかもしれない。
母の「気をつけてね」という言葉に頷いてみせて、トオヤは小さい弟と剣先の触れ合う距離で対面した。
カチッと軽く剣先を合わせたのが合図だった。
大きく振り上げた弟の剣を受け流し、トオヤはひらりと身をかわす。
攻撃一択の弟に対し、兄であるトオヤは防衛に徹するのみだ。
弟の剣は勢いはあるものの重さはない。
重心が安定していないせいかな。
弟のおぼつかない足元にちらりと視線をやりながら、トオヤは再度その剣を受けて横へ流すのを繰り返す。
さて、そろそろ終わりかなと思ったのは、弟の動きが鈍くなってきた頃だった。
ずっと休む間もなく剣を振り続けているのだ。
小さな弟の体では消耗も激しいはずだ。
今度は防御の仕方も教えてあげなきゃな。
そう思いながら、トオヤは構えていた剣を下げて久しぶりに口を開いた。
「そろそろ休憩にしようか」
だが、弟の闘志はまだ消えてはいないようだった。
「いえ、まだまだですっ!」
言って弟が剣を大きく振り上げた。
構えを解いていたトオヤは、咄嗟に手に握った剣を横に薙いでそれを防ごうとした。
しまった、と思ったときにはもう遅かった。
トオヤの振るった剣は弟の剣を呆気なく弾き飛ばし、そのまま勢いを殺すことなく刃先が弟の顔面をかすめていった。
弟は弾かれたように尻もちをつき、顔を覆って火がついたように泣き出した。
呆然と立ち尽くすトオヤの脇を抜けて、母が弟の元へ駆けていく。
「大丈夫!? 怪我は…!?」
母の問いかけにも弟は泣きじゃくるばかりで答えない。
そんな弟を抱き締めて、母がこちらを振り返った。
今までに見たことのない鋭い視線がトオヤを射抜く。
「何てことを…!この子はまだ子どもなのよ?もしもの事があったらどうするの!」
そのまま母は弟の体を大事そうに抱きかかえて、その場から立ち去っていった。
トオヤを振り返ることは一度もなく。
一人立ち尽くしたままトオヤは考える。
果たして誰が悪かったのだろうか。
手許を誤った自分?
それとも剣を構えていない相手に向かってきた弟?
どちらにしろ、母の中での悪者は決まりきっているようだった。
「…なんだ。やっぱりこうなるのか…」
偽物は本物には勝てない。
ぬるま湯に浸ったような暮らしの中で、いつの間にかそんな簡単なことも忘れていたらしい。
急に馬鹿らしくなって、トオヤは握っていた剣を放り投げるとその場を後にした。
73/178