トオヤについて屋敷の大きな両開きの扉をくぐると、そこはホールのようだった。
左右には緩やかにカーブした階段が伸びている。
「ここはあなたの…トオヤさんのお家ですか?」
小夜が周囲を見回しながらトオヤの背中に尋ねた。
振り返ったトオヤは相変わらずの微笑を湛えたまま「はい」と頷いてみせる。
「今は私しか住んでいませんが…。さすがに一人だと掃除も大変です」
「一人?どうして?」
「ここで共に暮らしていた私の家族や使用人たちは皆、先の戦争で命を落としてしまいました。ハンガルの兵がこの屋敷にも攻め入ってきて」
首をぐるりと巡らせて、トオヤは目を細めた。
「私はそのときちょうど家を出ていたおかげで何とか生き延びることができました。けれど皆は…至るところに無残な姿で倒れていました。誰一人、息もしていなかった…」
体の横に流したトオヤの拳が強く握られるのを、朱里は目の端に映しながら、シャンデリアの吊り下がった高い天井を振り仰いだ。
──そのせいなのだろうか。
人が大勢、非業の死を遂げたせいで、この場所に漂う空気はこんなにも重苦しいのだろうか。
朱里は先ほどからずっと、妙に落ち着かない気分でいた。
ここにいると、まるで誰かに監視されているような気になる。
何か強い念が屋敷中に満ちていて、ひどく息苦しい。
あまり長居はしたくない場所だった。
だがトオヤは朱里の気も知らず、
「今日は長らく馬車に揺られてお疲れでしょう。お部屋をご用意していますから、晩までお休みになられてください」
二人を二階へ案内しようとする。
思わず朱里は口をへの字に曲げた。
「いや、俺は」
散歩でもしてこようかな。
言いかけたとき、小夜が先に口を開いた。
「お心遣いありがとうございます。でもその前に、シルドラのことをもっと詳しくお聞きしてもいいですか」
トオヤは一瞬目を丸くしたが、すぐに嬉しそうな笑みを浮かべた。
「それでこそ私たちのお慕いする姫ですね。では別室にて、お話の続きをいたしましょう」
小夜は頷いてトオヤの後ろをついていく。
さすがにこの状況で屋敷を飛び出すわけにもいかず、渋々ながら朱里も二人の後に従うことにした。
小夜と朱里が案内されたのは、二階の応接間のようだった。
床全面に彩度を落とした花の模様があしらわれた絨毯が敷かれてある。
中央には磨かれて光沢を放つ木目のテーブルと、それを挟んで濃緑色のソファが向かい合うように置かれていた。
トオヤに促されて小夜がソファに腰を下ろす。
それを確かめると、トオヤも向かいのソファに落ち着いた。
ただ一人朱里だけがソファに座ることもなく、小夜の後ろに立ったままだったが、特にトオヤが席を勧めることもなかった。
「先に確認させていただきたいのですが、小夜様はシルドラという国についてどの程度ご存知ですか?」
トオヤの質問を皮切りに、再び小夜とトオヤは話し込み始めた。
朱里は完全に蚊帳の外だ。
今なら部屋からこっそり抜け出すのも容易いだろう。
しばらくは朱里がいなくなったことにすら、誰も気づかないに違いない。
しかしそれはそれで何となく腹が立つ思いがして、朱里は小夜の背後に留まったまま、意味なく天井を睨みつけた。
染み一つない真っ白な天井に、ゆらゆらと光の波紋が揺れているのが見えた。
水面に注がれる太陽光が壁などに反射したときに描かれる、あの不思議で涼やかな模様だ。
それが今、水源のない応接間の天井に鮮明に浮き上がっていた。
おかしいな。
内心首を傾げながら、部屋の中を見渡してみる。
どこを探しても大きな水槽はおろか、水の入ったグラスの類さえ見当たらない。
どこにも光を弾く水源などないのだ。
眉をしかめつつ、再度天井の波紋を見上げたときだった。
目の端に光の粒が飛び込んできた。
咄嗟に視線を移す。
どうやら窓の向こうから光が反射してきたらしい。
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