影に隠れていた顔が陽の下に明らかになる。

目元にかかった黒髪を首を振って払うと、男は小夜に穏やかな笑顔を向けて口を開いた。

「久しぶりだね。小夜様」


一瞬、目の前が暗転するのが分かった。
そこに立つのは、彼女の思い描いている人物ではなかった。

どこまで自分は愚かなんだろう。
勝手に期待して、勘違いして。

彼が戻ってくる理由なんてないのだと、とっくに分かっているくせに。


羞恥と落胆を押し殺して、小夜は精一杯の微笑みを浮かべた。

フードの下から現れたのは、小夜のかつての婚約者、ハンガル国元王子のアールだった。
ある町で体調を崩したとき世話になって以来だ。

アールは最後に別れたときと変わらない優しげな微笑みを湛えたまま、小夜の目元に手を伸ばしてきた。

「泣いてたの?」

アールの指先が目尻に触れる。
拭いそびれた涙の粒が残っていたのかもしれない。

小夜は慌てて言い繕った。

「なんでもないんです…!それよりアールこそ、こんなところまでどうしたんですか?」

「小夜様が城に戻ったって耳にしたからね。ちょうど近くまで来てたし、挨拶しとこうかなと思って。何より、君の元気な顔が見たかったから」

微笑んでさらりと言うアールに、小夜は気恥ずかしさを覚える。

「そうだったんですね。それじゃあ城の中に…」

視線を逃がすように後ろを振り返ると、少し先にトオヤが立っているのが見えた。

おそらく急に駆け出した小夜を心配して追いかけてきたのだろう。
今も怪訝そうな顔でアールを見つめている。

「トオヤ、この方は私の知り合いで…」

「元婚約者でもあるけどね」

すかさずアールが笑顔で付け加えると、トオヤがさらに眉をひそめた。

「婚約者…?」

「あの…!決して怪しい人ではないので心配しないでください」

「ですが、小夜様。あまりよく知れない者を城内に招き入れるのは…」

「ちょっとお話するだけですから」

「…それなら、私もご一緒して問題ないですね?」

やり取りを黙って見ていたアールが口を挟んだのは、トオヤの言葉に小夜が頷きかけたときだった。

「ちょっと待ってくれないかな。こっちは久しぶりの再会なんだ。君には遠慮してもらえると嬉しいんだけど」

柔らかな物腰だが、有無を言わせぬ迫力だ。

わずかにトオヤが怯む様子を見せると、アールは小夜の背に手を添えて歩き出した。

「行こうか。小夜様」

「すみません、トオヤ。また後で…!」

首だけ巡らせて告げる小夜を連れて、客人であるはずのアールは彼女をエスコートしながら城の中へと消えていったのだった。





取り残されたトオヤの口から重いため息が漏れた。

「…なんだ、あの男は。無茶苦茶だ…」

元婚約者と言っていたか。

姫と婚約を交わせるということは、つまり彼もまたどこかの国の王族ということになる。

一見すると旅人にしか見えなかったが、何か理由があるんだろうか。

首を傾げて考え込んでいたトオヤに、そのとき背後から声がかかった。

「──あの…!」

まだ若い子どもの声だ。

振り向くと、城門の向こうに一人の少年が立ってこちらを見ていた。

金色の髪に緑の瞳。

トオヤは目を細めて少年を注視する。
その顔に覚えはない。

「誰かな?」

尋ねるトオヤに少年が必死な形相で答えた。

「僕だよ…!ユウリだよ!」

その大きな声に城門の両端に立つ警護の男たちから視線が集まるが、当の少年は気づきもしないらしい。

トオヤは眉根を寄せて少年の名を口にする。

「…ユウリ?」

すぐにその顔色が変わった。

少年に背を向けるようにして、トオヤはその場から立ち去ろうとする。

慌てたように背後から声が追いすがってきた。

「待って、兄さん!話がしたいんだ…!」

トオヤが後ろを一瞥して吐き捨てる。

「僕はお前なんか知らない。二度と来るな」

少年を残して、その姿は城内へと消えていった。




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