走り去っていく馬車に軽く手を振り返しながら、トールが相好を崩した。
馬車の窓からは小夜が身を乗り出して笑顔で手を振っている。
「本当に可愛らしい姫様でしたね。見た目もそうですが、内面がなんとも」
何かを思い出したのか、その口から笑いがこぼれる。
「坊ちゃんも相当お気に入りのご様子でしたしね」
ちらりと冗談っぽく視線を流した横には、ロキが腕を組んだまま、だいぶ小さくなった馬車の姿を目で追っていた。
「俺の周りにはいない種類の女だからな。珍しければおのずと興味も湧く」
「また回りくどい言い方して。素直に気に入ったって言えばいいでしょうに」
口を尖らせるトールを無言で受け流して、ロキは馬車の消えた雑木林の坂道をじっと見下ろした。
その瞳からは、つい先ほど小夜と別れの挨拶を交わしたときの穏やかさは完全に消えている。
「トール、頼みがあるんだが」
ロキの険しい顔つきに、トールの表情が引き締まる。
「姫の付き人について少し調べてほしいことがある。あの男、どうも違和感が拭えん」
「違和感というと?」
その問いにロキは少しばかり考える仕草をして、口を開いた。
「シルドラのでたらめな噂を流したのはおそらくあいつだ。姫を城に戻すために練り上げた手段だったのかもしれんが、なぜそこまでして姫を急ぎ城に戻す必要があったのか、俺には分からん。当時マーレンは他国からの侵略など受けていなかったし、そういう気配の話も耳にはしていない。姫が急いで戻る必要はなかったはずだ」
トールはロキの言葉をしばし吟味した後、静かに口を開いた。
「確かにそうですね。ただ王座が空席なのは、国民を不安にさせるには十分すぎる理由かとも思いますが。考えすぎではありませんか?」
ロキの視線が地面に移る。
長い睫毛がその瞳に影を落とした。
「いや…。それにしてはあの男の目…」
「目?」
トールの声はロキの耳には届いていないようだった。
それきりロキは黙り込む。
西日が生み落とした濃い影が、二人の背後に不穏な気配を忍ばせながら佇んでいた。