ふと、トオヤから聞いたロキの噂が頭をよぎった。
もしかしたらこの人の悲しみは、そこに起因しているのかもしれない。
冷徹無比な絶対的君主。
噂が一人歩きしたロキの人物像は、今目の前にいるこの人とは似ても似つかない。
それならば、もう一つの噂についても、同じことが言えるのではないか。
意を決して小夜は口を開く。
「あの、ロキ様のお父様は…」
その後をどう続ければいいのか躊躇っていると、ロキの口角がわずかに持ち上げられた。
「噂は聞いているだろう」
静かな声が響く。
「そのとおりだ。俺が殺した」
感情のない、淡々とした声でロキはそう告げた。
沈黙が二人の間に幕を下ろす。
遠くさざ波の音だけがやけに大きく反響していた。
シルドラを訪れ、ロキと会話を重ねる中で、噂はきっと何の根拠もないただの作り話なのだと、どこかで信じている自分がいた。
だがそれも、当事者のロキによって真っ向から否定されてしまった。
混乱した頭の中から、疑問ばかりが口をついて出そうになる。
なぜ?なぜそんなことを?
問い詰めてしまいそうになるのを堪えて、答えを求めるようにロキの顔を見上げる。
そこに答えはあった。
海を見つめるロキの端正な横顔には、狂気も悪意も一切なかった。
あるのはただ、深い後悔とそれ以上に深い悲しみだけだった。
ああ、そうか。
ようやく小夜は思い至る。
やっぱりこの人は、噂で囁かれているような冷酷な人ではないんだ。
なぜ父親を手にかけてしまったのかは想像もつかない。
それでも、必死に後悔と悲しみを背負い、負の感情を押し殺して毅然と顔を上げているのだ。
きっとその姿は、私と何ら変わらない。
以前この人の言っていたとおり、私たちはよく似ている。
小夜はどこかで安堵している自分を感じていた。
立ち上がり地面を踏みしめると、潔い涼風が髪をなびかせていった。
眼前に広がる海が静かにこちらを見返してくる。
小夜の心は凪いでいた。
「ロキ様」
後ろを見下ろすと、ロキが先ほどの会話などなかったかのように涼しい顔で小夜を見上げてきた。
「ん?」
「ロキ様の目に、マーレンはどんなふうに映っていますか?」
唐突な質問に気を悪くするふうもなく、ロキは顎に手を当ててしばし考える。
「そうだな。まだ成長過程という感じだが、資源も豊富でいい国だ」
「本音でお願いしてもいいですか」
小夜の言葉にロキが苦笑を漏らした。
「分かった。俺が思うに、マーレンには絶望的な問題がある。周辺諸国と比べて、国防の面であまりに脆すぎる。仮に他国が侵攻してくれば、今のマーレンでは何の太刀打ちもできんだろうな。先のハンガルからの攻撃がいい例だ」
「私もそう思います。この問題を解決しないかぎり、町のみんなが心からの平穏を得ることはありません。きっと今も内心は、他国からの侵攻に怯えて暮らしているはずです。だからこそ私はマーレンを他国からの侵略を許さない、平和の確立された国に変えたいんです」
「理想論だな」
笑いをこぼすロキに、小夜は静かに首を振る。
「理想論でも無謀でも構いません。みんなが心の底から安心して暮らせる国にするために、全力を尽くしたいんです」
正面からロキを見据えて、小夜は凛とした声で告げた。
「──そのために、ここまで参ったんですから」
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