悪意も含みもない純粋な提案に、ロキはひきつり笑いを浮かべて首を横に振ったのだった。
ロキが無造作に芝生の上に腰を下ろす。
そのまま胡坐を掻くと、彼は前方に広がる紺碧の海に視線を向けた。
小夜もそれに倣って隣に座ろうとしたところで、制止の声がかかった。
「待て。女はこういうのを気にするんだろう」
肩に羽織っていた上着を脱ぐと、ロキは自分の隣にそれを広げて目線を送ってきた。
ここに座れということなのだろう。
ロキの意外な心遣いに、小夜は思わず笑みをこぼした。
「ロキ様、ありがとうございます」
礼を告げて腰を下ろすと、隣から素っ気ない声が「ん」とだけ返してきた。
ロキと並んで海を眺める。
水平線に近い遠海には陽の帯が伸びて、細かな光の粒子をこちらまで飛ばしていた。
本当に見飽きない景色だ。
見る度、胸に感動が湧き起こる。
この景色を毎日見ることができたら、どんなにか幸せだろう。
小夜が海の町での生活に思いを馳せていると、すぐ隣から声がした。
「暇だな」
小夜とは対照的に、早くもロキは飽きた様子だ。
空をぼんやり仰ぐその横顔は、見るからに退屈そうだった。
小夜は一日中でもここで海を見ていたいくらいだが、海の城に暮らすこの国王にとっては珍しくもない景色なのだろう。
何か真新しい刺激を求めて首を巡らせていたロキが、ふいに視線を小夜に留めた。
「そういえば、お前の話を聞いてなかったな」
「私の話?」
「そうだ。お前が旅をしていた頃の話を聞きたい」
珍しく好奇心を露わにするロキに、小夜はきょとんとしつつも首を縦に振ったのだった。
「──なるほど。姫がトレジャーハンターをしていたとは意外だな」
ひととおり話し終えたところで、ロキが興味深げに呟いた。
「私は足を引っ張ってばかりでしたが…」
「そこは容易に想像がつく」
小さく笑った後で、ロキが海に視線を向けたまま口を開いた。
「後悔はしてないのか」
小夜はゆるゆるとその横顔に視線を留めた。
岬の先で波の打つ音がかすかに聞こえる。
「旅をしていた頃に…その男の元に戻りたいと思うことはないのか」
ロキはもう笑ってはいなかった。
小夜を試しているわけでも、からかっているわけでもない。
その瞳はただ穏やかに遠くを見つめている。
小夜もロキの視線を追うように海を仰いだ。
水面に反射した太陽の光が眩しくて目を細める。
答えは自然と口からこぼれていた。
「…あります。後悔することも、彼を思い出して泣いてしまうことも、たくさん」
意識して口の端を持ち上げる。
「でも、彼と出会えたこと自体が起こるはずのなかった奇跡だから、これ以上わがままは言えないです」
それは自身に言い聞かせる言葉でもあった。
奇跡は何度も起こらないからこそ奇跡なのだ。
だが、その奇跡は小夜に大きなものを残してくれた。
小夜は首元のネックレスにそっと触れると、小さく微笑んで続けた。
「私には思い出があります。彼と直接会うことは叶わないかもしれないけれど、彼がくれた思い出が今も私を支えてくれるから、一人でも大丈夫なんです」
強がりだということは自分でも分かっていた。
彼本人に勝るものなどあるはずがない。
だが、これ以上のないものねだりは無意味だということも、小夜には分かっていた。
自分は前に進み続けなければいけない。
過去を振り返って立ち止まっていられる立場ではないのだから。
隣でロキが独り言のように呟いた。
「…上手く生きるのが下手だな。お前も、俺も…」
自嘲の笑みを刻むその横顔が、悲しげに歪められたのを小夜は見た。
過去に思いを馳せているのか、小夜が見つめるのにも気づいていない様子だ。
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