「それでは、こちらへ」

トオヤに促されて、小夜がその後をついていく。

不安げな背中を見つめて、朱里は小さく息を吐いた。

あまりに急展開だった。

口を挟む暇などないほどに、事態は朱里を置き去りにして進展していく。

──小夜がどんどん遠くなっていく。


少しでも離れてしまうと、一瞬でその姿を見失ってしまうような気がして、朱里は足早にその背中を追っていた。


***



生まれて初めて乗った馬車というものは、朱里にはあまり居心地のいいものには思えなかった。
かすかに響く振動が背や足元に伝わって、なんだかむずがゆい。

しかも斜め向かいには、突然現れて小夜を連れ戻そうとする謎の男がいる。

隣に座った小夜も、緊張しているのか、馬車に乗ってから一言も喋らない。
こんな中にいて居心地がいいわけもなかった。

(トオヤ、とか言ったっけ)

朱里は横目で男の顔を盗み見た。

トオヤは何を考えているのか全く読めない薄い微笑を浮かべたまま、一人窓の外の景色を楽しんでいるようだった。


馬車は森の中を走っているのか、窓の向こうには木々の緑が広がっている。

無意識のうちに朱里は、マーレンの城下町の付近を囲う森の風景を思い浮かべていた。

一度は小夜に別れを告げた森。

あのときのことを思い返すと、今でも胸の奥が言葉では言い表せない痛みに襲われる。
大事なものを手離さなければならなかった後悔が、ふつふつと湧き上がってくるのだ。

もう二度とこんなことはない。

自分に言い聞かせてみても、何の根拠もないことは自身が一番よく分かっていた。

小夜が城に戻りたいと望んだ場合、朱里には引き止める術も理由も、何もないのだから。


トオヤが小夜に顔を向けたのをきっかけに、朱里も外に漂わせていた視線を馬車内に引き戻した。

小夜はトオヤの視線に気づいたのか、おずおずといったふうに顔を上げた。

「小夜様はあれ以来、城にお戻りは?」

小さく首を横に振ってから、小夜が「いいえ」と返す。
トオヤは頷いて「そうですか」と呟いた。

「ひどい有り様でしたからね。城も、町も」

その薄緑色の瞳が、どこかずっと遠くを見つめるように細められた。

町にハンガルの兵士が攻め入ってきたとき、きっとこの男もそこにいたのだろう。

朱里もトオヤが思い起こしているだろうマーレンの町の惨状を脳裏に浮かべて、わずかに顔を歪めた。

いまだに、燃え盛る町に舞う灰の臭いまではっきりと思い返せた。


「町は…」

小夜が小さく声を発した。

「町はどうなったんですか」

トオヤは目を細めたまま、視線を再び窓の外に向けた。

「なんとか無事生き残った者で助け合って、形だけは復興させることができました。ただ、やはり以前のような活気は戻っていません。大事なものを失くした…その傷が皆癒えていないのです」

そう語るトオヤの瞳にも、何かを失った者の喪失の色が浮かんでいるのを朱里は見た。

きっと小夜も父を亡くした心の傷は、完全に塞がってはいないだろう。
現に今も、膝の上で固く握った拳をじっと見つめている。


重い沈黙が車内に満ちた。

息苦しいほどの空気を破ったのは、思いがけぬほど明瞭な小夜の声だった。

「今の国の状況を詳しく聞かせてください」

普段とは違う凛とした声音に、朱里は驚きながら小夜の横顔を見た。

相変わらず緊張で少し強張った顔。
しかし先ほどまでとはどこかが違った。

「マーレンの玉座が空いていることで、どんな影響が出ているのですか」

真剣な小夜の眼差しに、トオヤは頷きを返すと口を開いた。


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