人がいない城内というのは、まるで世界そのものが眠りに就いているようだ。
そういえばそんなおとぎ話を昔本で読んだことがある。
悪い魔女のせいで城中の人間が王女様も含めて皆眠ってしまう、そんな話だ。
あの物語の結末はハッピーエンドだっただろうか。
魔女はどうして皆を眠らせたんだっけ。
必要以上に響く二人分の靴音を聞くともなしに聞きながら、小夜は見慣れた景色をぼんやり眺めていた。
トオヤも昨夜は自分の屋敷に戻ったらしく、今この広い城にいるのは小夜とライラの二人きりだ。
がらんとした食堂には、もちろん朝食も何も用意されてはいない。
「準備してくるので、ちょっと待っててくださいね」
食堂隣の厨房に駆けていくライラを追って小夜も後に続く。
「それなら一緒に作りましょう。私も多少ならお手伝いできますから」
「いやいや、そんなドレスで料理なんて無理ですって!ていうか、昨夜も言いましたけどトオヤ様に…」
厨房の押戸をくぐりながら放たれたライラの言葉は、なぜかそこでぴたりと止まった。
小夜も続いて厨房に入る。
そしてライラと同様その動きを止めた。
二人は同じ方向を見ていた。
無人のはずの厨房内には、見知らぬ男性がこちらに背中を向けて、何やら忙しそうに作業をしている姿があった。
誰?
二人の頭にまったく同じ疑問が浮かぶ。
その視線に気づいたのか、作業していた男性が急に二人を振り返った。
白いコックコートにコック帽という出で立ちの男性は、満面の笑みを浮かべて手を上げた。
「姫様、おはようさん!朝飯はもうちょっと待っててくれるかい」
「は、はい」
あまりに当然のことのように言われて、思わず返事をする小夜の代わりにライラが口を開く。
「ちょっと!そうじゃなくて、なんでいきなり厨房で料理作ってるんですか!」
作業に戻ろうと背中を向けかけた男性は、思い出したように頭を掻いた。
「ああ、そうか。こう見えても俺は料理人でね。昨日姫様の演説を聞いて、俺も何か手助けができればって考えたんだ。ちょうど大通りに出してた食堂も前の襲撃でやられちまって店を閉めてたし、姫様に食べてもらえれば、そりゃあ俺の料理たちも喜ぶだろうと思ってな!」
わははと笑って、コックの男性は再び作業台に向かい始めた。
「まあ、姫様が迷惑じゃなきゃ、俺に厨房を任せてくれよ。損はさせないからさ」
横顔だけ向けて男性が歯を見せて笑う。
すぐにフライパンがジュウと音を立てて、バターのいい香りが辺りに広がった。
目をまん丸くさせて男性を見ていた小夜に、ライラが顔を寄せて言う。
「小夜様、よかったですね。これで毎日美味しいご飯が食べられますよ」
唖然としつつもなんとか頷いてみせる小夜。
ふふっと笑うライラの背後から賑やかな声が聞こえてきたのは、それからすぐのことだった。
今度は何だろう?
コックの男性に頭を下げると、小夜は厨房の外に出た。
そのまま声のするほうに早足で向かう。
着いたのは城の入口すぐのホールだった。
昨日は閑散としていたそこに今、十人ほどの男たちが集まっていた。
みんな男盛りの町の者たちだ。
「皆さん、どうされたんですか」
尋ねながら、内心恐れを抱く。
もしかしたら昨日の演説に憤った者たちが、抗議しに訪れたのかもしれない。
不安を押し殺して唇を引き結ぶ小夜の前で、男たちは予想に反して明るい笑顔を見せた。
「おう、姫様!今日はお願いがあって来たんだ」
「お願いですか?」
「ああ。今この城は人手不足だろ?だからみんなで話し合って、交代で城の警備をやろうってことになってさ。姫様さえよければ、今日からでも俺たちは動けるぜ」
言って親指を立ててみせる男を見上げて、小夜は目を瞬かせた。
「でもそれじゃ、皆さんにご負担をかけちゃうんじゃ…」
「ないない、そんなの」
あっけらかんと男は顔の前で手を振って答えた。
「姫様がこうして体張って頑張ってくれてるんだ。俺たちにも少しくらい協力させてくれよ。俺たちだって姫様を守れるんだからさ」
なあ、と後ろを振り返った男に、周囲の男たちも一斉に頷きを返す。
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