ライラの言う通り、小夜には明日から王女としての公務が待っているはずだった。

先王が亡くなって滞っていた政も進めていかなければならないのだが、当時城に務めていた者は襲撃の際に命を落としたか、もしくは逃げ出していて誰も残っていない。
誰に助言を仰ぐことも叶わない状況だ。

頼みの綱は側にいるトオヤだったが、トオヤでさえも今まで政に関わった経験はないと言う。
もちろん小夜自身、父の仕事に関わったことはほぼ無に等しい。

言ってしまえば完全にゼロからのスタートだった。

加えて、シルドラ国のこともある。
マーレンに王位継承者が戻ったことを知ったシルドラの新王は果たしてどう出てくるのか、その動向も気になる。

明日からのことを考えて顔を曇らせる小夜に、ライラが肩口から顔を覗かせてきた。

「ところで姫様」

その顔は妙に輝いている。

「町の噂で聞いたんですけど、男の方と旅をしてたって本当ですか?それも超絶美男子の貴族様と!」

後半妙に声のトーンの上がったライラからの質問に、小夜は思わず首を傾げた。

「ええと、貴族の方ではないんですけど」

うんうんとライラが大きく頷いて、話の続きをせがんでくる。

その無邪気な様子に、小夜は思わず笑みをこぼした。

「噂のとおり、とても素敵な男性です」

「へええ。出会いのきっかけは?」

キラキラ目を輝かせて新たな質問を投げてくるライラに、小夜はにっこり笑ってライラを振り返った。

「きっと、聞いたらびっくりしちゃいますよ」


それは、小夜にとっては奇跡に近い出会いだった。

運命というものがあるのなら、間違いなくあの夜の出会いがそれだったと思う。

大切な、宝物のようにしまっていた思い出を、小夜はライラに話して聞かせた。

それはまるで追体験をしているような、胸の高鳴る感覚だった。





話し終えた頃には、だいぶ夜も更けてきていた。

長時間の滞在を詫びて部屋から出ようとしたライラは、思い出したように小夜を振り返って言った。

「そうだ!姫様、私のことはライラって呼び捨てでいいですからね。そのほうがずっと仲良くなれそうでしょ」

にっこり笑うライラに、小夜も言葉を返す。

「それじゃあ私のことは小夜と」

「だからトオヤ様に殺されますって。せめて様をつけさせてくださいよ。小夜様」

苦笑いで手を振ると、そのままライラはおさげ髪を揺らしながら扉の向こうに消えていった。


灯りの落とされた室内は、ライラが退室した途端に静かになった。

ライラとの会話の名残を口元に浮かべたまま、小夜は仄かな明かりが差す窓辺に歩み寄る。

部屋が明るいうちは気がつかなかったが、窓の向こうには綺麗な星空が広がっていた。

その下に誰もいないテラスが見えて、小夜はこつんと額を窓に押し当てる。


気づけば今日が終わろうとしていた。

なんだか長いようで短い一日だった。

おそらく明日以降も、小夜の日々は目まぐるしく過ぎていくのだろう。

過去を思い出す暇もないくらいに。


ずっと遠方に望む山の影を見つめて、小夜の唇がわずかに動く。

「…今頃どこで何をされてるんでしょうか」

答えは求めていない。

そのまま窓際を離れようとして、思い出したように窓の鍵を外すと、小夜はベッドに深く潜り込んだ。

まるで子どものようだと自分でも思う。

でも、もしかしたら。また。

この部屋にいると、あのときの奇跡を望まずにはいられない。

小夜は儚い願いを胸に瞼を閉じた。

そうしているうちに気づけば眠りに落ちていた。




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