小夜はすぐに自分の発言を後悔した。
迂闊だった。
トオヤの家族は皆、一年前の攻撃の際に町外れの屋敷で命を奪われたのだ。
そこに弟の亡骸もあったはずだった。
「あの、トオヤさん」
慌てて自分の軽はずみな言葉を謝罪しようとしたところで、トオヤが逆に口を開いた。
「今日は小夜様もお疲れでしょう。お部屋でゆっくり休息をとられてください。ライラ」
その表情はいつもの穏やかなものに戻っていた。
名を呼ばれたライラが、寄り添うように小夜の背に手を添える。
「それじゃ姫様、行きましょう」
振り返った先のトオヤは、すでに小夜たちに背を向けてどこかへ歩き出しているようだった。
その背中が遠くなって、ついには見えなくなる。
結局トオヤに謝罪する機会は与えられることなく、小夜はライラに連れられてその場を後にしたのだった。
王女が去った後の城前広場は少しずつ人の波も引いてきていた。
とはいえ、この町の住人のほとんどが一堂に会していたのだ。引く波の速度は緩やかなものだ。
まだ人の交差する壇上から離れたところに、目深にフードを被ったローブ姿の人物が立っていた。
顔は隠れて見えないが、その体つきから男だと窺える。
フードの男は王女の消えた門の方向を見ているようだった。
だがすぐに視線を転じて身を翻そうとしたところで、男の目が一人の少年に留まった。
少年は皆が広場から散っていく中、ただ一人身動ぎすることもなく、先ほどの男のように門の奥を見つめていた。
その透き通るような緑の瞳には、なぜか涙が溜まっている。
「…兄さん」
少年がぽつりと呟いた。
フードの男がそちらに近づこうとしたところで、少年は涙を拭って大通りのほうへ走り去っていった。
少年の淡い金色の後ろ頭を眺めていたフードの男も、気づいたように視線を外すとそのままどこかへ歩いて消えた。
「今日の夕食、姫様のお口に合いましたか?」
「とっても。すごく美味しかったです」
後ろで自分の髪を梳いてくれているライラに、小夜は鏡越しに笑顔を返した。
小夜の私室の一角に置かれたドレッサー。
そこに今小夜は腰かけていた。
ライラは後ろに立ったまま、寝巻きに着替えた小夜の身なりを整えてくれている。
窓の向こうは闇に沈み、昼間の出来事が嘘のように静まり返っていた。
小夜はふと思い返す。
今日はトオヤとライラの助力があってなんとか乗り越えられた。
一人では無理だっただろうと思うと、二人への感謝が尽きない。
「ライラさん、本当にありがとうございます」
思いを素直に口にすると、鏡の向こうでライラが照れたようにはにかんだ。
「いえいえ。これも花嫁修行みたいなものですから」
えへへ、と笑うライラに小夜はきょとんとする。
すぐにそれが夕食のことを指しているのだと気づいて、小夜はなるほど、と言葉を返した。
この城は人が極端に少ない。
恐らく小夜とトオヤ、ライラの他には誰もいないと思う。
その証拠に小夜が今日一日を通して城内で見かけた人は皆無だった。
城門前の警備もいなければ、給仕係も料理長すらいない。
それでもせめて姫様に食事を、ということで腕を奮ってくれたのが他でもないライラだったのだ。
「明日は私もお手伝いしますね」
「いや、ほんとやめてください。トオヤ様に殺されます」
張り切って拳を握ったところにライラから即答が返ってきて、小夜は見て分かるほど肩を落とした。
「まあまあ。姫様には姫様にしかできないお仕事がたくさんあるわけですから」
慰めるようにライラが小夜の肩を軽く叩いて笑う。