すうっと息を吸い込んで、小夜は真っ直ぐ瞳を前に向けた。
躊躇いも迷いもすべて飲み込んで、ただ思いを伝えることに意識を集中する。
そして、言葉を紡ぐためにその口を開いた。
「もし許しがいただけるのなら、どうか私にもう一度、父の代わりにこの国を守らせてください。自分が力足らずなのは重々承知しています。私には父のような力はありません。それでも、父が一生をかけて守ってきたこの国を、私も同じように守っていきたいんです。一度国を捨てた立場で、身勝手なことを言っているのは分かっています。だけど」
広場に集まる聴衆をぐるりと見渡して、小夜は自分の胸に握り締めた拳を当てた。
「私はこの国の王女だから…幼い頃から今まで、皆さんに育てて守ってもらった命だから…どうか今度は私に皆さんを守らせてください。お願いします──」
その一言一言に思いを乗せて、小夜は深々と頭を下げた。
伝えたいことはすべて言葉にした。
もうこれ以上、自分にできることは何もない。
頭を下げたまま、小夜は一人身動きもせず祈り続ける。
城前広場には多くの人が集っているはずだったが、その瞬間は無音だけがその場を支配していた。
永遠にも感じられる時間の後、小夜の耳にどこからか手を叩く小さな音が聞こえてきた。
それは一つ、二つと数を増していく。
音はさざ波のように広がり、気づけば鼓膜を揺さぶるほどの大音響に変わっていた。
小夜は驚いた顔で表を上げる。
途端、視界に飛び込んできたのは、こちらに拍手を送るたくさんの民の笑顔だった。
目前の光景に呆然と立ち尽くす小夜に、群衆の中から威勢のいい声が届いた。
「姫様!謝ることなんてないさ!姫様がこれまで国のためにいろんなものを犠牲にしてきたのを、俺たちはみんな知ってる。ちょっとの間、城を留守にしたからってそれがなんだ。ここにいる誰も姫様を責めたりしやしないよ」
投げかけられた言葉に、目の前がぼやけていくのが分かった。
小夜がその人を探して視線を彷徨わせていると、またどこからか声がかけられた。
「姫様!お帰りなさい!」
それは子どもの声だった。
小夜はまたぼやけた視線を泳がせる。
そうしているうちに、広場はいつの間にか民の声の嵐に包まれていた。
発される言葉のすべては壇上の小夜に向けられたものだ。
小夜は一人、信じられない面持ちでそれを見ていた。
脳裏にトオヤの自信に満ちた声が甦る。
“ 何せ、ここにいるのは皆あなたの民なのですから。彼らを信じてください”
小夜の顔が今にも泣き出しそうにくしゃくしゃになった。
自分の帰還を笑顔で受け入れてくれる民の姿に、小夜は深く頭を垂れた。
「みんな、ありがとうございますっ…」
震える唇で呟いたその足元に水滴をいくつも落としながら、小夜はいつまでも頭を下げ続けた。
いきなりライラが抱きついてきたのは、城前広場を後にトオヤと門の奥へ戻ったときだった。
驚いて言葉も出ない小夜をよそに、ライラはその背中に回した腕にさらに力を込めると、感極まった声で言う。
「姫様!本当に本っ当に素敵でした!」
若干涙声のライラに小夜は小さく笑ってみせた。
「ありがとうございます…」
体を離したライラの目元に本当に涙が浮かんでいるのを見て、さらに小夜は破顔する。
自分のことのように喜んでくれるライラの温かさが嬉しかった。
「お二人が見守ってくださったおかげです」
トオヤにも先ほどの礼を言おうと後ろを振り返ったところで、トオヤの手が頭に伸びてきて、小夜は言葉を飲み込んだ。
トオヤが優しい手つきで小夜の頭を撫でる。
「本当によく頑張りましたね。お疲れ様です」
微笑んで言うその顔を、小夜はその手の間からぼんやり見上げた。
同じように頭を撫でてくれる人を知っている。
今のトオヤの面差しはその人によく似ていた。
小夜が反応を返せずにいると、我に返ったようにトオヤが手を引っ込めた。
「大変失礼しました。つい無意識に」
自分から離れた温もりに少しの寂しさを感じて、小夜は尋ねる。
「無意識?」
「ええ。子どもの頃よく弟に同じことをしていたものですから」
弟と聞いて、小夜は思わず頬を緩めた。
それならば自分はトオヤの妹のようなものになるのだろうか。
くすりと笑う。
「トオヤさんの弟さんは幸せ者ですね」
きっといいお兄さんなんだろうと想像しながら何気なく発した一言に、トオヤの笑顔が悲しげなものに変わるのが分かった。
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