どのくらいの間、そうしていただろうか。
遠くのほうから、パタパタと慌ただしい足音が聞こえてきた。
これだけ静かだと、やけに反響して耳に届く。
何だろう。
小夜は音の聞こえるホールの奥に目をやった。
白く磨かれた床に靴底を打ちつけながら駆けてきたのは、一人の若い女性だった。
足元まで裾が広がった詰襟の黒いワンピースに、腰の辺りから巻かれた白いエプロンが、女性の動きに合わせて忙しなく揺れる。
女性は慌てた様子で小夜たちの前まで走って来ると、勢いよく腰を折ってお辞儀をした。
頭の後ろで一つに編まれた赤毛のおさげ髪の束が、一呼吸遅れて女性の肩から流れた。
「お待ちしておりました!姫様!」
乱れた呼吸を整えるより先に、女性が勢いよく声を発した。
相当急いでここまで来てくれたらしく、今もまだ肩で息をしている。
「ライラ」
なかなか頭を上げない女性にトオヤが声をかけた。
ようやく顔を上げた女性は、走って来たせいか赤くなった頬がまだあどけない、小夜と同年代の少女だった。
眉上で切りそろえられた前髪に、活発そうな太い眉。
くりくりとした無邪気そうな目は、好奇心旺盛なのが見て分かるほど小夜を視界に入れて輝いていた。
「私は侍女のライラと申します!これからお側で姫様のお世話をさせていただきます」
言って再度頭を下げたライラに、小夜も釣られてお辞儀を返した。
「私は小夜と申します。どうぞよろしくお願いします」
慌てて挨拶すると、ライラが可笑しそうにぷっと息を吹き出した。
「姫様の名前はもちろん知ってますって」
喜怒哀楽がすぐ表に出る性格なのだろう。
途端にライラの纏う雰囲気が親しみやすいものに変わって、小夜は思わず安堵の笑みをこぼしていた。
ライラの態度に苦言を呈したのは、側で二人のやり取りを見ていたトオヤだった。
「…ライラ、姫に対してその口の利き方はないよ」
注意を受けて申し訳なさそうに肩を落としたライラに、小夜は慌てて首を振る。
「いいんですよ!むしろお友達のような話し方をしてもらえたほうが私は嬉しいです」
「小夜様…」
非難の視線を向けるトオヤには気づかないふりをして、小夜はライラににっこり笑いかけた。
「今日からお世話になります。ライラさん」
ライラの瞳に再び輝きが戻ってくる。
「はい!姫様!」
満面の笑みを浮かべるライラに、小夜はこの城を訪れて初めて、気持ちが和らぐのを感じたのだった。
やることがあるというトオヤと別れて、小夜はライラについて城内を歩いていた。
ライラはよく喋る少女だった。
この城に入ったのはほんの数日前で、それまでは町で父の仕事の手伝いをしていたこと。
家族は父母に加え、下に兄弟が三人いて、毎日遊びに付き合わされてクタクタになっていたこと。
本当に他愛のないことをライラは楽しそうに笑顔で語ってみせた。
静かすぎるこの城の中では、それが唯一の救いのように小夜には思えた。
「ここが姫様のお部屋になります。って以前も暮らされてたんですから、案内なんて必要ないですよね」
あはは、と笑うライラに続いて、小夜は久しぶりにその部屋に足を踏み入れた。
入った途端、心地のいい春風が小夜の頬をくすぐっていった。
白いカーテンがパタパタと揺れるのが視界に飛び込んできて、小夜は視線を部屋の奥に向けていた。
空気の入れ換えのためか、窓が大きく解放されていて、そこから風が入ってきているようだった。
床まで伸びた窓の向こうには、懐かしいテラスが覗いている。
一瞬瞼の裏に青年の姿が甦って思わず肩を抱くと、ライラが足早に窓のほうに駆けていった。
「まだ春先ですし、少し肌寒いですよね」
窓を閉めようとするライラに、大丈夫ですから、と返して、小夜は導かれるようにテラスに足裏を下ろした。
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