あれほど焦がれた朱里がすぐ側にいる。
あのときの小夜の願いは確かに叶えられた。
けれど、望んだのはこんな未来だっただろうか。
「…私の声、聞こえませんか…?少しでいいんです。聞こえているなら…」
淡い希望にすがって、朱里の手を持ち上げ握り締める。
返事の代わりに、朱里の手が力なくするりと小夜の手をすり抜けて落ちた。
今の朱里には小夜の言葉など一切届いていない。ベッドの上に投げ出された手が、はっきりとそれを物語っている。
声をかける度、笑いかける度、心がすり切れていく気がした。
側にいるはずなのに、どうしてこんなに寂しくてたまらないんだろう。
もしかしたら、このまま朱里は目覚めないのかもしれない。どれだけ待っても、この先朱里の口が「小夜」と動くことはないのかもしれない。
そんな考えが頭によぎった途端、目の前が真っ暗になる感覚に襲われた。
唇の震えを噛みしめて抑えると、小夜は涙の溜まった瞳で懸命に微笑みを浮かべた。
笑っていなければ、一瞬で不安に押し潰されてしまいそうだった。
「…大丈夫です。今度こそ絶対に離れたりしませんから…。ずっと一緒ですからね」
当然朱里からの反応はない。
結局何を言おうが、それは自身を慰めるためのものでしかなかった。
ロキが部屋を訪ねてきたのは、それからしばらくしてのことだった。
扉を開くと廊下から射し込む西日を背に、燃えるような赤い髪がそこに佇んでこちらを見下ろしていた。
開口一番、ロキは小夜の顔をまっすぐ見て言い放った。
「いつまでそうしているつもりだ」
何の前置きがあるわけでもない。
その唐突な感じがロキらしいのだが、今の状態の小夜が耳にするにはひどく無遠慮で攻撃的な言葉だった。
小夜の心中を気にする様子もなく、ロキは続ける。
「お前がそこに逃げ込んでから、どれだけ時間を無駄にしていると思う。このままいつ目覚めるか知れない男を待ち続けて、この国を潰すつもりなのか」
非難めいた言葉に、小夜はうつむいたまま小さく返す。
「…私は逃げてなんて…」
「逃げているだろう。王女としての責任から、国から、国民から。すべてを放り出して、お前はその男を盾に逃げているだけだ」
ロキの目を見ることはできなかった。
おそらくその目には、小夜への苛立ちと軽蔑が浮かんでいるに違いない。
視線を床に逸らしたまま、小夜は体の横に流したこぶしを強く握り締める。
「…どう思われても構いません。私はここで朱里さんが目を覚ますのを待ちます。何年だって何十年だって待ちます…!」
朱里一人を時間に置き去りにはしない。いつまでも一緒だ。
頭上から返ってきたのは、深いため息だった。
きっと自分はロキを失望させてしまったのだろう。
同じ王族として道を外した私は、この人の目障りでしかないはずだから。
このまま扉を閉じて、固く鍵をかけてしまおう。
もう二度と、世話を焼いてくれる優しいこの王の手を煩わせることがないように。
扉のノブに手を伸ばしたとき、思いがけずロキの腕がそれを遮って扉を大きく開いた。
目を見開く小夜の眼前に、ロキの真剣な顔が迫る。
「そんなことをあいつが望むと思うのか…!」
辛そうに歪められた顔には、後悔の念が色濃く浮かんでいた。
いつだって前を向いて迷うことを知らないロキが、こんな表情をする理由は分からない。けれど、ロキも自分と同じように苦しんでいるのだということは分かった。
朱里をこんな状態にしてしまった後悔と、何もできない無念さ。
それを小夜は一人で抱えているつもりだった。
けれど本当はそうではないのかもしれない。
ロキが静かに告げる。
「…あいつはお前を独占して喜ぶような奴でも、お前がそんな風に弱っていくのを望むような奴でもない」
優しい声音が小夜の耳朶を震わせた。
見上げた先で、ロキは悲しみを押し殺して小夜を見つめていた。