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第11章
いつかの約束
檻の向こうは暗く澱んだ空気に支配されていた。
独房の壁際に座り込んだ影を見て、ロキはわずかに眉を寄せる。
一瞬その影が、以前ここから解放した銀髪の青年と重なって見えたからだ。
あのときの自身の決断を後悔してはいない。
けれど、時々分からなくなる。
自分がもっと別の手段を選んでいれば、結末はまったく変わっていたのではないかと。
手元の燭台で揺らめく炎の中に、魂が抜け落ちたようにうなだれる小夜の背中を思い出して、ロキは奥歯を噛み締めた。
「──ロキ」
声をかけられて我に戻ると、隣でアールがこちらを見ていた。
「平気?」
努めて素っ気なくうなずいてみせる。
この男の心労をこれ以上増やしたくはない。
炎の光に照らされたアールの目元にうっすらと疲労の跡が残っているのを横目に、ロキは再度牢の奥の影に視線を戻した。
今回二人がそろってマーレン城の地下牢に赴いたのには理由がある。仮収容している罪人トオヤの処遇を明らかにするためだ。
本来なら罪人の扱いについては、城主である小夜の役目であるはずだが、彼女はほとんど部屋の外に出てこないため、ロキが代わりを買って出た。
当初小夜に国外追放を命じられたトオヤだが、新たな罪を重ねた今となっては国外へ解き放つのも難しい。とはいえ、このまま小夜の居城に置いておくのも、彼女にとってはあまりに酷だ。
結果、トオヤの母国でもあるシルドラがその身柄を引き取ることに決まったのだった。
アールも同席すると言い出したときは意外だったが、この男なりに何か確かめたいことでもあるのかもしれない。
「トオヤ」
奥に広がる闇に向かって名を呼ぶ。
反応はなかったが構わず続けた。
「お前の処遇が決定した。我が国シルドラがその身を預かる」
相変わらず何の反応もないが、事務的に伝えることだけ伝えれば立ち去るのみだ。問題はない。
「何か質問があれば、今後は俺の側近に言え。数日後にはここを立つ」
トオヤが身じろぎする衣擦れの音が聞こえたが、奥に座り込んだ影が移動したわけではなかった。
夢破れて灰と化したか。
ロキは小さく息を吐いた。
多くの命を犠牲にしてきた者のなりの果てにしては、あまりに虚しい。この男が歪んだ野望さえ抱かなければ、郊外の貴族家族も、実の弟も命を失くすことはなかった。
あの青年もロキに宣言してみせたとおり、姫の側で笑って生きていけたのかもしれない。
そこまで考えて、ロキは小さく首を振った。
たらればをいくら並べ立てたところで無意味なことは、父を亡くしたとき痛いほど自覚したではないか。
現実は修正も巻き戻しもきかない。
この男はどこまでいっても殺人者で、失われた命は戻ってこない。
どうしようもないやるせなさにため息が漏れる。
これ以上この場にいても仕方がない。
アールを促して牢の前を離れようとしたときだった。
「…処刑でもなんでもすればいい」
闇の奥から呟きが聞こえた。
振り返り、牢の中に目を凝らす。
「何だと?」
訊き返すロキに、壁際の影が答えた。
「…この世界は腐ってる。こんな世界にいるくらいなら死んだほうがましだ…」
覇気のない投げやりな声は、聞いているだけで人を不快にするものだった。
この男はどこまで自分の運命を周りのせいにすれば気が済むのか。
罪のない人間を不幸にしておいて、最後まで自分は被害者面をするつもりか。
そのときロキの手に持った燭台の炎が、横で生まれた風に大きく揺らめいた。
ロキの目の前に現れたアールが影と対峙する。
「…いい加減にしろ」
表情は見えなくとも、アールが怒っているのはその声と背中から漂う雰囲気で分かった。
ロキもあえて止めることはしない。トオヤに苛立ちを感じているのは、彼も同じだからだ。