思い当たるより先に、口が動いていた。

「ユウリ…」

ああ、そうだ。
自分の言葉で記憶が甦る。

昔、僕の弟だった奴だ。


名前を呼ばれたユウリは、嬉しそうに頬を緩めて大きくうなずいた。

なぜそんな表情をするのか、トオヤには分からなかった。

もしかしたら、兄だった男の惨めな姿を笑いに来たのかもしれない。
後継ぎであるはずの長男が家を追い出され、挙げ句こんなところでまた醜態を晒しているのかと。

知らず知らずのうちに爪先が地面の土をえぐっていた。


「兄さん、僕と一緒に家に帰ろう?大丈夫。また一からやり直せばいいんだよ。僕も力になるから、また家族みんなで一緒に頑張ろう?」

必死に呼びかけてくる声も、肩に触れた手の熱も、トオヤにはすべてが疎ましく思えてならなかった。

こいつは何を言ってるんだ。一度捨てられた身の自分がのこのこ帰っていっても、そこに居場所なんてあるはずがないのに。

土をえぐる指先に力がこもる。

「ねえ、兄さん」

光を湛えた無垢な瞳は、自分が味わってきた挫折と苦労の半分も経験していないに違いない。

何の根拠もなく、未来は明るく希望であふれていると信じて疑わない目だ。

ユウリに見つめられるほど、自分が惨めに思えてたまらない。
何のために努力を続けてきたのか、分からなくなってくる。

まるで、僕の人生すべてを否定されている気分だ。

爪の間に入り込んだ砂が気持ち悪い。


「だから、一緒に帰ろう。ね?」

そう笑いかけてきたユウリの顔を、トオヤは一切見なかった。

代わりに土で汚れた手を握り締めて吐き捨てる。

「…今さら何が家だ。僕を捨てたのはお前たちじゃないか。あんなみっともない家、二度と帰る気なんかない。僕は貴族だ。お前たちとは違うんだ」

肩に添えられた手を振り払って立ち上がったところで、腕にユウリがしがみついてきた。

「違うよ!父さんも母さんもずっと兄さんを心配して…」

「黙れ!」

見限られたトオヤの代わりに両親に選ばれた弟の口から、これ以上の言葉は聞きたくなかった。

結局のところ、ユウリは勝者でトオヤは敗者なのだ。
勝者からの慰めなど、傷口をえぐるだけにしかならない。

視線をユウリから逸らしたまま、トオヤはしがみついてくる腕を大きく振り払った。

背後の地面にユウリが倒れ込む音が聞こえて、すぐにまた足音が後を追ってくる。

「兄さん!お願いだから話を聞いて!」

視界の端に伸ばされたユウリの手が見えたとき、トオヤは腰に差したナイフを掴んでいた。


優しい世界で暮らしてきた弟は、人から危害など加えられたこともないだろう。

だから、牽制になると思った。

その平和ボケした鼻先に刃を突きつけてやれば、きっと一目散に尻尾を巻いて逃げ出すに違いない。

そうして二度と、僕の前に現れることはない。

それでいい。僕には家族など必要ない。

ナイフを構えて、トオヤが後ろを振り返ったときだった。

刃先に、何かが触れた感覚があった。


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