「トオヤ」
小夜の呼びかけに、トオヤが鋭い視線を向ける。
「あなたの言うとおり、私は家族をみんな亡くしました。でも大事なものはそれだけじゃありません。ここにいるみんなが、私の守りたいものです。あなたには絶対に譲れない、私の宝物です」
「戯れ言を…」
吐き捨てるトオヤにも、小夜は臆さない。
「みんながこんな私を支えてくれるように、私もみんなを支えていきます。この国の王女として」
すぐに嘲笑が返ってきた。
「一度はその民を捨てた身で、よくもそんなことが言えるな」
トオヤの言葉は的確に、小夜の心の弱い部分を突いてくる。
言い淀む小夜の代わりに答えたのは、処刑台の柱に刺さったままの剣を鞘に収め終えたロキだった。
「過ちを犯さない人間がいるのか?まるで自らは潔白だとでも言いたげだな」
ロキは視線を真っ直ぐトオヤに向けると言い放った。
「トオヤ、お前の過去については、こちらでも調べがついている。もちろん、姫に行った無礼についてもな。真の罪人が誰なのか、町の者たちが集っているこの場ですべて明かしてやろうか」
青く澄んだ瞳が、すっと細められた。
そこにあるのは普段の冗談混じりのものではない。瞳の奥には確かな怒りが燃えていた。
「…なぜだ」
トオヤの口から声が漏れたのは、ロキが彼に背を向けたときだった。
「なぜどいつもこいつも僕の邪魔をする…!僕が今までどれだけ血の滲むような努力をしてきたと思ってるんだ!」
その場にいるすべての者を責めるような叫びにも、ロキは容赦なく吐き捨てる。
「すべては己のエゴのためだろうが。それを他人にひけらかすな。見苦しい」
トオヤの顔色が変わったのに、背を向けたままのロキは気づくこともない。
体の横で握り締められた拳は、細かく震えていた。
「…お前のような奴に、僕の気持ちなんて分からない…!何の苦労もせず、持って生まれた身分に甘えて生きているだけのお前に、僕の努力を笑う資格なんかない!」
叫ぶと同時に、トオヤが地を蹴ってロキに躍りかかった。
その手に鞘から抜かれた剣を握り締めて。
「殿下!」
小夜の背後、壇上の下からトールの声が響いた。
ロキは後ろに迫ったトオヤを振り返りながら、
「構わん」
それだけ応えて、落ち着いた動作で腰に提げた剣の柄に手を添える。
すらりと音もなく抜かれた剣が、陽光を受けて白く煌めいた。
トオヤの振り下ろした刃を軽く受け流すと、ロキはひらりと身をひねって横に移動した。
隙をついて攻撃に転じるわけではない。トオヤの次の手を待つように、剣を構えるだけだ。
トオヤが無我夢中で振るう剣を、その度にロキはいとも簡単に退けてみせた。
剣術の知識がまったくない小夜でもさすがに分かる。
二人の力の差は歴然だ。
それはトオヤにも分かっているに違いない。
必死に剣を振りかぶる彼の顔には、悔しさが滲み出ていた。
それでも手を止めようとしないのは、彼のプライドがそれを許さないのか、もしくはやけになっていたのか。
何度目かの気合の声とともに、トオヤが剣を大きく振り上げたときだった。
突然ロキが何を思ったのか、構えを解いて剣を下ろした。
見守る小夜の口からあっ、と声が漏れると同時に、ロキは自分に向かって振り下ろされた剣をわずかに身を引いて避けると、そのままトオヤのがら空きになった腹部に蹴りを食らわせた。
トオヤは後ろに突き飛ばされるようにして壇上から転がり落ち、地面に倒れ込む。
手から離れた彼の剣が、数秒遅れてカラン、と乾いた音を立てて転がった。
「今のが、お前の努力とやらの成果か?」
腹部を押さえて顔を上げたトオヤの視線の先には、壇上から彼を見下ろすロキの姿があった。
一戦を交えた後だというのに、肩にかけられた上着は少しの乱れもなく風に揺れている。
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