「王のいない国を民だけで保てるわけがないだろう。仮にまたハンガルに攻め込まれたらどうする。ろくに抵抗もできず、今度こそこの場にいる全員は皆殺しにされるだろう。王女が王女なら、民も民だな。この町の人間はそんな簡単なことも分からないほど、王女に妄信しているのか」

取り繕うことのない冷徹な視線は、小夜を一瞥した後、民衆のほうに注がれた。

「ここの連中はまるで信者だな。見ていると吐き気がする」

その言葉に、小夜がトオヤを睨みつけて口を開こうとしたときだった。

はっ、とかすれた小さな笑い声がトオヤの奥から聞こえた。


「…何言ってんだよ、お前…」


見れば、うなだれたままの朱里が口元にわずかな笑みを浮かべていた。

小夜とトオヤの視線を受けて、朱里が続ける。

「…ここにあるのは、小夜が生まれてからずっと、こいつらと築いてきた信頼の結果じゃねえか。お前…ほんとに自分の目でしか物事を見られないんだな…」

朱里が再び小さく笑う。

「民は無力なんかじゃない…。ここまで町を復興させたのは、みんな民の力だろ。…それに、王がいる国が必ずしも国民を幸せにするわけじゃないってことは、お前が一番身に染みて分かってるんじゃねえのかよ…」

トオヤがどんな表情を浮かべているのかは小夜からは見えない。

それでも、体の横で強く握られたこぶしを見れば、想像するのは容易かった。

「…自分のことしか頭にないお前が、王様になんかなれるわけねえだろ」

朱里の放った一言に、トオヤの肩が大きく揺れるのが分かった。

握りこぶしを作った右手が、素早く腰のナイフに伸びる。

「…っトオヤ!」

小夜の伸ばした手は、どこにも触れることなく空を掻いただけに終わった。

トオヤが大股で、朱里の捕らえられた処刑台に歩いていく。
その手に鋭いナイフを握り締めて。

「…盗人風情が…」

ゆらりと揺れるトオヤの背中に向かって、小夜は駆け出していた。

「駄目です、トオヤ!やめて!」

手を伸ばしてトオヤの腕にしがみついたところで、

「離せ!」

その肘を頬に受けて激しく地面に叩きつけられる。

痛みなんて気にならなかった。
うつ伏せに倒れ込んだまま顔を上げた先で、トオヤの右手が大きく振り上げられるのが見えた。

「どいつもこいつも…僕に知った口をきくな!」

鬼気迫る叫びとともにナイフが振り下ろされたのは、処刑台の刃を固定している縄に向けてだった。

「朱里さん!」

手を伸ばした先で、朱里の横顔がこちらに向けられる。

見開かれた小夜の瞳の中で、朱里が小さく笑ってみせた。
いつもと同じように、何でもないふうに。


瞬間、ぶつん、と何かが千切れる嫌な音が小夜の鼓膜を震わせた。


それから先は、まるでコマ送りの映像を見ているかのようだった。

真っ二つに断たれて宙を舞う縄の下で、解き放たれた巨大な刃が音もなく落ちていく。
固定された朱里の首に向かって。


大きく見開かれた目の裏側を、朱里と過ごした日々が走馬灯のように駆け巡った。

不機嫌そうに差し出された手。
幼い子どもみたいにあどけない寝顔。

初めて名前を呼ばれたときには、この人とともに生きたいと心の底から願った。


どうか、ずっと側にいられますように。

死がふたりを分かつ、そのときまで。



「────!」


自分でも何と叫んだのか分からなかった。

もしかしたら、意味をなす言葉にすらなっていなかったのかもしれない。


運命を呪い、トオヤを呪い、そして何より自分の無力さを呪って、小夜が叫びを上げたときだった。


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