その場に集う民の意を示すように、女主人が声を張り上げた。
「今すぐその人を解放しな!誰もこんな処刑は望んじゃいない!」
後に続くように、群衆からも声が上がる。
小夜は大きく目を瞬かせた。
自分には何も変えられない。トオヤの心を動かすだけの力もない。
けれど、必死の訴えは無駄ではなかった。
小夜の言葉は確かに届いていたのだ。
「みんな…」
これほど自分勝手な王女なんていないはずだ。
そして、そんな自分を受け入れてくれる民も。
奇跡を目の前にしているかのようだった。
涙がこぼれそうになるのを慌てて拭う。
なんと礼を尽くせばいいのか、胸がいっぱいで上手く言葉にならない。ありがとうなんて一言では、全然言い足りないくらいだ。
またにじみ出てきた涙を拭おうとしたときだった。
隣から空気に似た笑い声が小夜の耳に届いた。
「まさかここまでだとはね…」
呟きに視線を向けると、トオヤが蔑むような目を群衆に注いでいた。その口元にはいまだに薄ら笑みが貼りついている。
小夜が見つめる中、その口が再び言葉を刻むため大きく開かれた。
「よく考えてみてほしい。ここでこの男を生かせば、王女は再び僕たち民を捨てることになるだろう。王族という責任を持った王女が、たった一人の男のために、国と民を捨て自由になっても構わないとあなたたちは言うのか」
その問いかけに、周囲はしんと静まり返った。
トオヤが小夜の視線に気づいてにやりと笑う。その表情は勝利を確信した余裕に満ちていた。
ほら、ご覧なさい。
結局どれだけ綺麗事を並べても、皆あなたに逃げられたくはないのですよ。
所詮は人の幸せよりも、自分の幸せ。
誰かに守ってもらわなければ、この者たちは生きていけない。
きゅっと愉快そうに細められた瞳が、そう小夜に告げてくる。
王族はいつだって民に捧げられた犠牲でしかない。
解放されたいのなら、すべてを渡せ。
トオヤの瞳の奥に宿った黒い炎が、小夜の全身に絡みついて視線を逸らせない。闇に引きずり落とされる。
小夜がぎゅっとまぶたを閉じたときだった。
沈黙を破って、力強い声が辺りに響いた。
「構わないよ!それが姫様の幸せに繋がるのなら」
闇に覆われた視界の中に、一筋の光が射した。
目を開いた先で、群衆を束ねるように前に立つ女主人が胸に手を当て言い放つ。
「あたしたちは誰かに守ってもらわなきゃいけないほど弱くできちゃあいないんでね。自分たちの力で国を盛り立てて守っていくさ。そうだろ?みんな」
振り返った先で、その言葉に賛同するように多くの声が湧き上がった。
女主人が勇ましく微笑んで小夜を見上げる。
「あたしたちは大丈夫だよ、姫様。幸せにおなり」
返事はできなかった。
必死に涙を堪えて、代わりに深く頭を下げる。
自分は夢を見ているんじゃないだろうか。
王族らしくあれ。この国のためにすべてを捧げろ。
それは城に戻って以来、ずっと自分に言い聞かせてきた言葉だった。
民は国の宝。
だからこそそれを守るために、王族は全てを犠牲にして生きていかなければならない。
自分の幸せを望むのは欲深く愚かなことだ。
愛しい人に想いを馳せる度に、何度も自分を責めた。
まさか、幸せを願ってくれる人がいるなんて。
嘘みたいだ。
ドレスの前を握り締めて、小夜は頭を垂れ続ける。
私は本当に、幸せになってもいいのだろうか。
胸の中に、じわりと小さな希望が生まれる。
もう一度、彼の手を取って、そして──。
「愚かなことを」
小夜の考えを一蹴するように、すぐ隣でトオヤが冷たく吐き捨てた。
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