それまで力なくうなだれていた朱里の頭がぴくりと動いた。
「朱里さんっ!」
ゆっくりとその顔が小夜のほうに向けられる。
虚ろな目と視線が合い、その唇がかすかに「小夜」という言葉を形作った。
一体どれだけの仕打ちをすれば、ここまで朱里を変えてしまえるのか。
怒りと悲しみでにじむ涙を堪えて、小夜が歯を食いしばったとき。
トオヤが突然声を張り上げた。
「ここにいる皆さんに、聞いていただきたい!」
壇上下に集まった民衆に向かって大きく両手を広げると、声高々に言い放つ。
「一年前、なぜ小夜姫が私たち国民の前から忽然と姿を消したのか!そう、すべてはこの男が元凶です!今あなた方の目の前にいるこの男こそ、私たちから姫を奪い連れ去った張本人なのです!」
人差し指を断頭台の朱里に向けて突き出すと、聴衆の間からざわめきが湧き起こった。
初めは躊躇いがちだったささやきが、次第に音を増していく。
「姫様はあいつに誘拐されたってことなのか…?」
「無理やり、あの男が俺たちの姫様を…?」
まるで何かが感染していくように、群衆の目に非難と憎悪が宿っていくのが見て取れた。
その視線は一様に、断頭台の朱里に注がれている。
周囲に広がる不穏な気配に、小夜は聴衆に向けて身を乗り出していた。
「待ってください!そうじゃないんです!彼には何の罪もないんです!」
必死に訴える小夜の隣で、トオヤが口を開く。
「姫、どうか冷静に。あなたはこの男の呪縛からまだ抜け出せずにいるんですよ」
「違う!そんなものどこにもないっ…!彼について行こうと決めたのは私です!私が自分の意思で彼に同行したんです!だから彼は悪くない!」
小夜の言葉に、トオヤは無言で悲しそうに首を振るだけだった。
まるで、自分はまともだと訴えながら、おかしなことを喚き続ける娘を哀れむかのように。
無言で自分を見上げる民衆たちの目にも同じものを感じて、小夜は歯噛みする。
「私は本当にっ…」
再度、民衆に向かって口を開いたときだった。
「…小夜、やめろ…。ここで俺をかばっても、お前にいいことなんてない…」
絞り出すように、朱里の呼気をはらんだ声が響いた。
乱れた前髪の隙間から小夜を見つめるその顔は、すべてを諦めている風にも、これ以上小夜の立場が悪くならないよう守ろうとしている風にも見えた。
小夜は大きく首を横に振って、それを拒否する。
「いいえ、やめません…!」
今だけは、たとえ朱里の言葉でも従うことはできない。
小夜は自分を制止する男の腕を払いのけると、まっすぐ聴衆に体を向けた。
ここにこうして立つのはあのとき以来だった。
無責任な自分の行動を詫び、この国を守らせてほしいと誓いを立てた、あの日のことは今でもはっきりと覚えている。
自分に向けられるのは、思いやりに満ちた温かい目ばかりだった。
だが今この場に集まった民の顔に浮かんでいるのは、不安と困惑、そして朱里に対する強い敵意だ。
誰か一人でも声を上げれば、それを皮切りにここにいる全員が朱里に向けて歯を剥くだろう。
すべては小夜が招いたことだ。
自分のすべてを打ち明けて、国民に拒絶されることが怖かった。
お前なんかにこの国は任せられない、お前はこの国の恥だ。
そう罵られるのが怖くて、唯一残された居場所を失うのが嫌で、曖昧にぼやかしたまま放っておいた。
あの日何もかも全部明かしていれば、この最悪な状況は避けられたはずなのに。
朱里がこんなふうに傷つくこともなかった。
全部、自分がもたらした結果だ。
卑怯に逃げ続けてきた自分のせいだ。
本当に守るべきは、自分の立場でも尊厳でもない。
こんな状態になってまで自分のことを守ろうとしてくれる、この人じゃないか。
ドレスのスカートを握り締めて、小夜は大きく息を吸い込んだ。
しっかりするんだ。今、彼を救えるのは私だけだ。
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