父に代わりこの国を守り抜きたいと思う反面、普通の人間として彼と共に人生を歩んでいきたいと願う自分もいる。
どっちつかずでいつも心が揺れている姿を、トオヤは見抜いていたのだろう。
こんな王女には国を任せていられない。
そう判断した結果があの行動に繋がったのかもしれない。
どうしようもなく欲深く、情けないほどに女々しいのが、この国の王女の真の姿なのだ。
頬をくすぐる風に乗ってまた、さざ波のような声のざわめきが聞こえた。
自分はいつまで、己を偽り続けなければならないのだろう。
常に笑顔で、何事にも平気な風を装って。
本当は、彼の腕の中に戻りたくてたまらないくせに。
そんなことをぼんやりと考えていたときだった。
扉の開く音とともに、女性の声が小夜の背中に響いた。
「──小夜様!」
聞き慣れた声に、沈んだ心が大きく跳ねる。
振り返ると、こちらに駆けてくるライラの姿があった。
「ライラ!」
声が弾んでしまうのは、気の知れた旧友との再会のように感じてしまったからだろうか。
だがライラに向けられた小夜の笑顔は、その姿を目の当たりにしたところで、大きく強張った。
気が急いてしまったのか、バランスを崩して床に膝から倒れたライラの元にしゃがみ込むと、小夜はライラの両手にはめられた枷をじっと見下ろした。
「…ライラ、その格好は…」
よくよく見れば、その細い首には不釣り合いの太い縄までぶら下がっている。
頭を垂れて肩で息をしていたライラが、大きく唾を飲み込んで小夜に向き直った。
「小夜様…トオヤ様を止めてください!」
トオヤという単語に、小夜と、ライラに遅れて部屋に入ってきたトールの顔が緊張を帯びる。
「…トオヤがどうかしたのですか?」
慎重に尋ねた小夜に、ライラが大きく口を開いた。
「あの人、小夜様の大切な人を処刑しようとしてるんです!」
その場に一瞬の沈黙が落ちる。
それを破ったのは小夜の呟きだった。
「…朱里さんが、処刑…?」
「はいっ…!広場に、見たこともない処刑台があって…それでっ…」
必死に説明しようとするライラの表情は、今まで見たことがないほど追い詰められていた。
小夜の胸に不安がよぎる。
小夜は唇をきゅっと引き上げると、微笑みを浮かべてライラの顔を覗き込んだ。
「ライラ、分かりました。もう大丈夫ですから。後は私に任せてください」
そう答えると、途端にライラの顔に安堵の色が浮かんだ。
「小夜様、どうか彼を…!」
うなずいて立ち上がる。
すぐ側に佇むトールの不安そうな顔にも笑顔を返すと、
「トールさん。ライラのことお願いできますか?」
「はい。ですが小夜様…お一人で行かれるのは…」
「大丈夫です。彼の好きなようにはさせません」
トールににっこり笑うと、小夜はそのまま静かに部屋を後にした。
落ち着いた動作で扉を閉める。
一人になった途端、唇が細かく震え始めた。心臓は先ほどからずっと早鐘を打っている。
処刑。朱里さんが、処刑。
繰り返し、訊き馴染みのないおぞましい単語がライラの声で頭の中に再生される。
そんなはずはない。
罰せられなければならない理由なんて、彼にあるわけない。
だが簡単に否定するには、目の前に現れたライラの姿はあまりに生々しかった。
木製の枷がはめられた手首は赤くこすれ、首に巻きついた無骨な縄はまるで鼠を絞め殺す蛇のようだった。
朱里も今まさに、あんな罪人のような姿になっているというのだろうか。
脳裏に浮かんだライラの姿が徐々に薄らぐ。そうしてこちらに笑いかける朱里の姿に変わった。
最後に彼の笑顔を見たのは、いつのことだっただろう。
そう思う間に、朱里の笑顔はトオヤの冷笑に掻き消えていった。
小夜は強く歯を噛み締めると、不吉な予感を胸に抱えたまま、その場から駆け出していた。
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