「──今だ!」

ライラの背中を思い切り前に押し出す。

一人解き放たれたライラは、おさげ髪を大きく揺らしながら駆け出した。奥にそびえる城に向かって。

「振り返るな!とにかく走れ!」

もう一人の警備の男が追いかけようとするのを、体当たりで妨げる。

男と折り重なるように倒れ込みながらも、朱里の目はライラの後ろ姿を追っていた。

頼む。逃げ切ってくれ。

その背中に強く祈ったとき、

「本当に手がかかる…」

耳に届いたのは、一人涼しい顔で佇むトオヤの声だった。

その靴先がライラの逃げた方角に向きを変えたのを見て、すかさず朱里は声を放っていた。

「女一人くらい、放っとけばいいだろ」

笑うだけの体力などほとんど残っていなかったが、無理やりにでも口元に笑みを浮かべて続ける。

「…それとも、何の影響力もないか弱い女追いかけなきゃいけないほど、余裕がないとか?」

上目にトオヤを見上げて挑発する。

内心はトオヤの注目をライラから逸らすのに必死だった。

視界の端でどんどん遠ざかっていくライラの背中を捉えながら、体を揺らして立ち上がる。

真正面からトオヤと対峙すると、朱里は自分ができ得るかぎりの不敵な面で言ってやった。

「小せえ男」

トオヤが目を丸くしてくすりと笑う。

「そんな顔面蒼白で言われてもね。そこまでして彼女を助けたいんだ?」

朱里の時間稼ぎにはとうに気づいていたらしい。
それでもトオヤがライラの後を追う気配はなく、朱里は心中胸を撫で下ろした。

「自分のせいで、無実の奴巻き添えにしたら夢見が悪いだろ」

「今から死ぬ人間が、そんなこと気にしても仕方がないだろうに」

「俺はお前と違って善人なんだよ」

吐き捨てて、朱里は再び壇上へと伸びる階段に顔を向けた。

さすがにこの傷で逃げ切れるとは思わない。
仮に処刑を逃れたとしても、行き着く先はおそらく同じだ。

ふう、と息を吐き出して脇腹の痛みを誤魔化すと、朱里はゆっくりその階段に足を踏み出した。




一段進むごとに死が近づいてくる。

まさかあんなもので人生終えることになるなんてな。

最後の段を上りきり、中央に鎮座したそれを他人事のように眺めていると、トオヤが一人朱里の後について壇上に上がってきた。

ほかの男たちは待機を命じられたのか、階下に控えたままだ。

「…いいのかよ。首輪握ってなくて」

朱里の首に結われた縄の先は、無造作に床に放置されたまま何の意味も果たしていない。

トオヤが肩をすくめて笑ってみせた。

「その体じゃどこにも行けないだろ」

朱里は平静を装っているつもりなのだが、この男には見抜かれているらしい。

血を流しすぎたのか、先ほどから膝がカタカタと笑って仕方がない。眩暈と頭痛が交互に霞んだ頭を襲い、その度に吐き気が込み上げてくる。

体調はかつてないほど最悪だ。

それでも朱里が地面に膝をつかないのは、目の前に立つこの男に死んでも屈服したくないからだった。


おそらくそういった朱里の気持ちもすべて、トオヤには透けて見えているに違いない。

笑みを湛えたまま、トオヤがのんびりとした口調で話し始めた。

「見てみなよ。町中の人間が集まってるんじゃないかな」

愉快そうに広場を見渡すトオヤに倣って、朱里も壇上を取り巻く人々に視線を向ける。

数分前に見たときよりも、明らかにその数は増えていた。

「群集心理って言うのかな。こういうときの人間ほど、扱いやすいものはない」

この男は何が言いたいのだろう。
トオヤの顔に答えを探る。

うっすらと笑んだ横顔は、まるで夢を語る少年のように瞳をうっとりさせて大衆を見下ろしていた。

その口が歌うように抑揚をつけて言葉を口ずさむ。


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