傷口から溢れた血が、白い床を赤く染めていく。
苦し紛れに手で押さえてもまったく意味がないことは、見る間に血の色に染まっていく自分の手を見れば明らかだった。
完全に油断していた。
まさか小夜の居城で荒業に出ることはないだろうと、どこかで高をくくっていたのかもしれない。
考えが甘かった。
この男の手はとうの昔に血塗られているというのに。
「…ちくしょう…」
睨みつけようと再度上げた視線が、大きくぐらつくのが分かった。足から力が抜けていく。
トオヤの足元にくずおれる瞬間、視界の端で真っ青な顔をしたライラがこちらを見つめているのが見えた。
直後、甲高い悲鳴が響く。
すぐにそこから逃げろ。
冷たい床に伏したままそう口に出したつもりだったが、果たして上手く声になったのかは自分でもよく分からなかった。
「──今、誰かの声が聞こえませんでしたか?」
ドレッサーの前に腰かけていた小夜は、後ろで頭の包帯を解いてくれていたトールに鏡越しに尋ねた。
頭に巻かれていた包帯が取れると、急に見慣れた姿の自分にほっとする。
小夜の問いに鏡の中のトールが軽く首をひねって答えた。
「そうですね。何か女性の声がしたような」
引っかかるところでもあるのか、その視線が宙を漂い、再び小夜に戻ってくる。
「少し様子を見てきましょう。すぐに戻ります」
小夜を安心させるために微笑んでみせると、トールは静かに部屋を出ていった。
しばらくドレッサーに映った自分と向き合っていた小夜は、思いついたように席を立ちクローゼットの前に移動する。
さすがにそろそろ着替えないとトールにも失礼だろう。
寝巻きを床に脱ぎ落とし、手頃なドレスに袖を通す。
姿見の前に立つと、意識を失う前よりもどこかすっきりした表情の自分がこちらを見つめていた。
心が浮き足立っているのが分かる。
予感がするのだ。
首にかかったネックレスにそっと触れると、小夜は鏡の中の自分に問いかけるように呟いた。
「また、すぐ会えますよね」
確かに、彼の存在を近くに感じる。
きっともうすぐ会える。
そんな予感に胸が躍った。
次に会えたら、あのとき駆けつけてくれたお礼を言わなきゃ。
そして、この素直な気持ちを包み隠さず全部彼に伝えよう。
鏡の中の自分が、そのとき嬉しそうににっこり微笑んだ。
ひどく視界が霞む。
枷のはめられた両手の指先は痺れて感覚が鈍い。
背中にじっとりと嫌な汗を掻いているのに、体は鳥肌が立つほどに冷え切っていた。
身にまとった黒いシャツは一見すると何の変わりもなかったが、その脇腹部分がぐしょぐしょに濡れているのが朱里にだけは分かった。
血が止まらない。刺された脇腹が焼けたように熱い。
「ほら。さっさと歩くんだ」
後ろから乱暴に背中を押されて、朱里は前のめりになりながら一歩を踏み出す。
動く度に傷口から血があふれる感覚があった。
膝から崩れてしまいそうになるのを、後ろの男が手に握った縄を引いて食い止める。
その縄の先は朱里の首に巻かれていた。
自分がどういう状況に置かれているのかは、さすがに理解していた。
両手を前で拘束した木製の枷に、首に巻かれた太い縄。
見覚えのある城前広場には、向かう方向に壇上が設けられている。
その壇上の中央に設置されたものを見て、朱里の隣に並んだライラが小さく息を飲むのが聞こえた。
彼女にも朱里と同じような枷と縄が巻かれている。