「あっ」
初めに声を漏らしたのは、隣に並んだライラだった。
思わず二人そろって足を止める。
前方の廊下に佇む人影に鋭い視線を向けていると、ライラがぽつりと呟いた。
「最悪…」
朱里もまったくの同感だ。
二人に気づいてその人影が歩み寄ってくる。その顔に相変わらずの胡散臭い微笑を湛えて。
今すぐ駆け出して殴りつけてやりたい気持ちを押さえて、朱里は体横の拳を音がするほど強く握り締めた。
落ち着け、小夜のところまであと少しだ、とにかく今は辛抱するんだ。
必死に自分に言い聞かせる。
朱里たちに数歩空けて立ち止まると、トオヤは涼しい顔で二人を交互に見た。
「また君が手引きしたのかい?ライラ」
薄緑の目がライラを捉えてすっと細められる。
ライラが怯えたように息を飲むのに気づいて、朱里は背に彼女を隠すようにして前に出た。
朱里の知らないところで、この二人の間にも何かがあったのかもしれない。
正面からトオヤを睨みつけて言う。
「あいにくだけど、今はお前の相手してやるほど暇じゃないんだよ」
「へえ?」
小馬鹿にするようにトオヤが首を傾げて笑った。
「罪人がどの面下げてやって来たかと思えば。君は本当に自分の立場が分かってないんだね」
「俺は罪人じゃない。罪人はお前だろ、トオヤ」
真っ直ぐ見据えて答える朱里に、トオヤの目が冷たく色を変える。
「誰が君なんかの言葉を信じるのさ?この町の者から姫を奪い、独占しようとした君なんかの言葉を」
思わず口をつぐんだ朱里の様子に、トオヤがニヤリと満足げに笑みをこぼす。
「ほら、君だって自覚してるじゃないか。どれだけ自分が身勝手な行いをしてきたのか。君も立派な罪人だよ」
両手を広げてトオヤが言い放つ。
その姿はまるで、自らの勝利を確信した糾弾者か、同類を得た罪人のようだった。
違う、なんてどうして言えるだろう。
小夜が王女であることも、王亡きあとこの国に唯一残された王族であることも、すべて知った上で旅に連れ出したのは自分だ。無実なはずがない。
(そうだ。俺だって、こいつと同じ罪人なんだ。罪を償わなきゃならないのは、俺も同じ…)
そこまで考えたとき、背後からライラが朱里を押しのけるようにして前に出てきた。
「いい加減にしてよ!」
大きな声で一喝すると、朱里を上目に睨みつけ、
「こんな奴の言葉に惑わされないで!大事な人が待ってるんでしょ。なら前だけ見てて!」
唖然とする朱里の手を引いて大股で歩き出す。
自分の腕を引くその手が小さく震えているのに気づいて、朱里は前を行くライラの後ろ姿に目を向けた。
ライラは正面に立ち塞がるトオヤを肩で押しのけながら、前に進もうとしていた。
「どいて!あんたの好きになんかさせないんだから!」
ライラがそう叫んだ直後だった。
「弱い犬がきゃんきゃんと」
口の端を歪めたトオヤが、ライラのおさげ髪を無造作に掴み上げていた。
「やめろ!」
痛みに顔を歪めるライラを前に、朱里は飛び出す。
そのまま引き剥がすように二人の間に割って入ったときだった。
脇腹に小さな衝撃を感じた。
見れば、右の脇腹にトオヤの手が何かを突き立てていた。
ゆるゆると顔を上げた先で、トオヤと目が合う。
彼は人形のような無表情で朱里の視線を受け止めると、
「誰にも夢の邪魔はさせない」
そう告げ、躊躇いなく朱里の脇腹からそれを引き抜いた。
ぱっと宙に鮮血が舞うのと同時に、脇腹を焼けるような痛みが走る。
トオヤの手に握られたナイフの刃が血に濡れているのを捉えたとき、ようやく朱里は自分が何をされたのか自覚した。
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