昼下がりの木漏れ日が淡い影を落とす廊下を、トオヤは一人歩いていた。
辺りに人の影はない。彼の立てる靴音以外には、音も聞こえてこない。
王女が深い眠りについてから、城内は時が止まったかのように静まり返っていた。
町の男衆は、形ばかりは城の警備にあたっているようだが、よほど王女のことがショックだったのか、それまでの威勢のよさはすっかり失われ消沈しているようだった。
賑やかしの中心だった侍女のライラも、あの夜以降姿を見ていない。おそらくトオヤの言葉に従って、城を出ていったのだろう。
静かな城は嫌いではない。
新緑の息吹に耳を傾ければ、忙しない日々で意識もしなかった季節を肌身に感じることもできる。
窓の向こうでさわさわと揺れる緑を視界の片隅に映しながら、トオヤは歩き続ける。
もうすぐこの城も僕の物になる。
おかしな番犬はついたが、姫が目を覚まさない限りはこちらに噛みつくこともないだろう。しばらくすればシルドラ王の気も済むはずだ。
いつまでも眠り姫に構っていられるほど、暇でもあるまいし。
辛抱していれば、すべて時間が解決してくれる。
間もなくトオヤの夢が実現するのだ。
そのときの光景を想像して、トオヤは小さく笑みを浮かべた。
ようやくだ。ようやく長年の夢が叶う。
赤く燃え上がり崩れ落ちていく我が家をただ茫然と眺めるだけだったのは、いつのことだっただろうか。
あれから一日も欠かすことなく、トオヤは努力をし続けた。
失ったものを取り戻すために。
昔のように光と希望に満ち満ちた日々を、もう一度この手に掴むために。
ふと胸に何かが引っかかったのは、笑い声に包まれた昔の一場面が頭をよぎったときだった。
あれ?
歩みを止め、後ろを振り返る。もちろん、彼の背後には誰の姿もない。
トオヤは広い廊下に一人立ち尽くしたまま、小首を傾げた。
どうして昔のことなんて思い出してしまったんだろう?
自分に笑いかけてくるあらゆる命は、夢の妨げだと容赦なく切り捨ててきた。
トオヤを信頼しきって微笑む少女は、この手で奈落へ突き落とした。
そうして今、一人きりで立っている。
そもそも僕の思い描く未来、幸せは、どんな形をしてた?
貴族らしい生き方。貴族としての誇り。
僕が地位と城を求める理由は、初めからそれだけだったっけ?
何かが胸につっかえる。
その正体を突き止めようと、じっと足元の床を注視していたとき、久しぶりに人の声を耳にした。
見れば廊下の奥から見覚えのある二人組が、トオヤの視界に飛び込んできたのだった。
「おい、ほんとにそっちで合ってんのかよ」
「こっちのほうが近道なんです!いいから黙ってついて来てください!」
バタバタと激しい足音を響かせながら、朱里はライラと名乗る侍女の後について城内を奔走していた。
城の中のことは自分のほうがずっと詳しいから、とライラに押し切られ、今に至る。
一人なら城の壁を伝ってテラスから簡単に入れるんだけどな。
その一言は胸の内に留めておく。
ライラに手を差し出した時点で、遠回りになることは覚悟の上だ。
「警備の奴らに出くわしたりしねえだろうな」
「そうならないことを祈ってください!」
「お前なあ」
出たとこ勝負の運任せ。
冷静なときの朱里なら絶対に選ばない行動だ。
だが今はそんなことも言っていられない。
一刻も早く小夜の元へ。頭にあるのはそればかりだった。
「これでも私、運はあるほうなんで」
にひっと歯を見せて笑う能天気なライラを横目に、朱里は彼女の横に並ぶと不敵に言ってやった。
「もし捕まったときは、あんたの不運を呪うことにするよ」
「ええ?そんなこと言います?」
眉をしかめるライラに笑ったところで、朱里は前方の角を減速することなく曲がりきった。