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綿雲がゆったり流れていく青空を見上げていた朱里は、呼ばれて背後を振り返った。

「なんだよ。茶なら今淹れてるよ」

手慣れた動きで紅茶の入ったティーカップを盆に乗せ、ソファでくつろぐロキの眼前に差し出してやる。


主人に命じられる前に茶を用意する執事。

執事にレベルというものが存在するのなら、かなり成長著しいと我ながら思う。

悦に入ったようにふふんと鼻を鳴らす朱里の顔を、ロキが怪訝そうに見上げてきた。

「なんだ。ずいぶんと機嫌がいいな」

「まあな。あんたの扱いもだいぶ板についてきたし」

「慣れて調子に乗ってきた頃が、大失敗の元だ。せいぜい気をつけるんだな」

珍しくソファに寝っ転がらず腰かけた体勢のロキは、ティーカップを受け取ると、もう一方の手に握っていた紙をそよと揺らした。

「茶もいいが」

いつものように床に落とすでもなく、しばらくその視線が紙の上に留まる。

途中まで言いかけておいて悠々と文面の確認とは、相変わらずマイペースな奴だ。

まあ慣れてきたので、文句は挟まず朱里も盆の片づけのためロキに背を向ける。
そこに声がかかった。

「話の途中にどこへ行く」

「はあ?あんたがその話を中断したんだろうが」

眉根を寄せて振り返ったところで、ロキがこちらに紙を立てて文面を向けているのに気づく。

「なんだよ、これ」

また何か仕事を押しつけられるのだろうかと仰け反る朱里に、ロキはニヤリと笑って言った。

「吉報だ。お前の愛しの姫が目を覚ましたと、トールから報せが入った」

「本当か!」

思わず手に持った盆を落としそうになった。
急いでロキの掲げる紙に目を走らせる。

そこには確かに、小夜が目を覚ましたこと、意識記憶ともに何ら障害は見られないことが端的な文章で綴られていた。


思わず目の奥が熱くなる。

この城に来てから医学書は何十冊も読み漁ったが、手応えのある情報は一向に見つかっていなかった。
ただ焦りばかりが先走り、自分の無力さを痛感する毎日。

このまま永遠に目覚めないのではないかと、不安がよぎることも少なからずあった。

だが、小夜は自分の力で目を覚ましたのだ。


湧き上がる喜びに叫び出してしまいそうなのを、体の横に流したこぶしを握り締めて堪える。

「すぐマーレン城に戻る!」

言うが早いか身を翻した朱里の背を、ロキの声が止めた。

「まあ待て」

「待てるわけねえだろ!やっと小夜が目を覚ましたんだ!あんたが何と言おうが、俺は今すぐあいつのところに…」

飛び出そうとする首根っこを掴んで制止させると、ため息とともにロキは告げた。

「お前は馬鹿か。人間の足で走って何日かかると思う。馬を使え。以前お前の乗った馬を城前に繋いである」

そこまで言うと、ロキは朱里の背中を叩くように乱暴に押し出した。

「早く行け。姫を待たせるな」

前のめりになって駆け出しながら後ろを振り返ると、ロキはソファにくつろぐ体勢に戻っていた。

「…っありがとう、ロキ!行ってくる!」


バタバタと騒がしい足音を立てて部屋を出ていくその背中を見送りながら、ロキは一人静かにティーカップに口をつけた。

湯気の立つ紅茶は、文句のつけようもないくらい味も温度も適当だ。

癪だから、間違っても褒めることはしてやらないが。

ふん、と口の端を持ち上げて微笑むと、ロキはたった今卒業したばかりの執事が残した紅茶を楽しむことに専念するのだった。


***



気が急くままに城の大扉を駆け抜けた先には、薔薇の咲き誇る庭園が広がっていた。

その前で紐に繋がれたそれを視界に入れて、その顔に若干の緊張が走る。

これが第一の試練か。

気を奮い立たせるように笑みを浮かべると、朱里は真っ直ぐ前を見据えて声を上げた。

「よう。頼むぞ、相棒」

前庭の柱に繋がれた茶毛の馬が、任せろとばかりに鼻を鳴らして、鋭い目つきで朱里をひと睨みした。




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