「小夜様!目を覚まされたんですね!」
ぼんやりとまどろむように白い天井を見つめていると、突然目の前に男性の顔が現れた。
目元を潤ませたその顔には見覚えがある。
「トールさん…」
名前を口にすると、トールは大きく目を見開いた後、心底嬉しそうに破顔した。
「よかった…!このまま目覚めないかと…。本当によかった…!」
声を詰まらせながら、何度もそう繰り返すトールを見ているうちに、小夜にも少しずつ記憶が戻ってくる。
月夜のテラス。
眼前に迫った手。
その隙間から覗いた乾いた笑顔。
甦る悪夢から逃れるように、首元に手を伸ばす。だが、そこにあるはずの感触はどこにも見つからない。
どこに、と考えたところで、あの夜トオヤに引き千切られてしまったことを思い出した。
手の中に握り締めていたはずだが、両手を広げてみても、そこには何もない。
テラスから落ちたときに、失くしてしまったのだろうか。
じわり、と胸に不安が生まれた。
どうしよう。あれがないと、私は本当に一人になってしまう。
彼との繋がりが、何もなくなってしまう。
泣きたくなって顔に両手を寄せたとき、トールが遠慮がちに声をかけてきた。
「もしかして、こちらをお探しですか?」
そう言って差し出された彼の手のひらには、小さな花びらのネックレスが乗っていた。
涙のにじんだ目で、小夜はトールの手の中にあるものを見つめる。
「ずっと、眠っていらっしゃる間も、小夜様が握り締められていたんですよ。チェーンが壊れているようだったので、失礼かとは思いましたが、私のほうで修理させてもらいました」
言いながら小夜の手にそれを握らせると、トールは眉根を下げて申し訳なさげに微笑んだ。
「もし余計なことをしてしまったなら、申し訳ありません」
自分の元に戻ってきたネックレスが、小夜の手の中で小さく揺れた。
トオヤに嘲笑われ、引き千切られた形跡はどこにもない。
彼が照れ臭そうに差し出してくれたときのままだ。
ネックレスを胸に抱いて、小夜は横たわったまま横に首を振る。
「いえ…いいえっ…。すごく大切なものなんです…。ありがとうございますっ…」
彼を失った今は、これだけが心の支えだ。
どれだけ愚かだと罵られても、唯一の彼の名残であるこのネックレスまで失うわけにはいかない。
トールが安堵の笑みをこぼした。
「せっかくですから、身に着けておかれますか?」
目を瞬かせていると、トールの手が背中に添えられた。
壊れ物を扱うように、慎重な手つきで半身が起こされる。
「失礼します」と告げた後、その腕が首の後ろに回され、カチッという装着音がした。
「うん、よくお似合いです」
大きく頷いて微笑むと、トールは穏やかな声音で付け加えた。
「可愛らしいお品ですね。贈り主の方の、小夜様への思いがよく伝わってきます」
小夜もトールの視線を追って、胸元のネックレスに手を添える。
自然と顔が綻んだ。
ネックレスが自分の元に戻ってきたことも嬉しかったが、思いがけずトールが肯定してくれたことも、それと同じくらい嬉しかった。
ふとトオヤのことが気にかかったのは、腕に巻かれた包帯が視界に入ったからだった。よくよく見れば足や、頭にも巻かれているようだ。
笑いながら自分を突き落としたトオヤの姿が脳裏に甦って、小夜はとっさに自分の肩を抱いていた。
「あの…トオヤは今、どこに」
おそるおそるトールの顔を見上げると、彼は少しの間返す言葉に迷った後、小さく微笑んで告げた。
「何もご心配はいりません。彼は決してこの部屋には入ってきませんから」
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