それを聞いたユウリの顔が、わずかにほっと緩むのが分かった。

「すみません。せっかくのお話だけど、やっぱり僕はここに残ります。まだこの町に来てそんなに時間は経ってないけど、僕この町が好きなんです。この町に暮らす人も、もちろん親方も、まるで本当の息子みたいに良くしてくれて。何より、今は仕事がすごく楽しいんです」

ユウリの顔に浮かんだ笑みを見れば、その言葉に嘘はないのだと明らかだった。

そういえばこの子は、ないものねだりなんてしないんだった。

思い出して、的外れな自分の提案に思わず苦笑する。

誰かの助けなんかなくても、自分の力で道を切り開いていける。ユウリはそんな少年だったのだ。

口では友人と言いつつ、子ども扱いしてしまった自分を軽く悔やんでいると、ユウリが続けた。

「それに…この町にいればいつか、兄さんとちゃんと話ができる日も来ると思うんです」

真っ直ぐに城のほうに注がれる視線を追って、アールも同じように首を巡らせる。

「そうだね。きっと」




賑わいを取り戻した通りには、再び人の波ができていた。

辺りをぐるりと見渡して、アールはユウリに視線を戻す。

「ところで、この辺りで小夜様を見かけなかったかな?」

アールの問いにしばし考える素振りを見せた後、ユウリは「いいえ」と首を横に振って答えた。

「ここ数日はずっとお見かけしてません。お城でのお仕事がお忙しいのかもしれませんね」

「そうか。ありがとう」

無意識に視線は、通りのずっと先にそびえる城のほうに伸びていた。

ユウリの言うとおり、本当は城内にいるのか。それともまったく別の場所にいるのか。

彼女は一体どこに行ってしまったのだろう。

小夜の面影を探して、アールは視線を巡らせる。

脳裏にある男の顔が浮かんだのは、見上げた空の色が青い海を連想させたときのことだった。


*****



濃紺の闇の中を、小夜はひた走っていた。

完全に黒に塗り潰されているわけではないので、周囲の景色はぼんやりと視界に捉えることができる。
ここは自分のよく知る城内だ。

けれど小夜の記憶の中のそれとはまったく違う。

真っ直ぐに伸びる廊下は終わりを知らず、どこまで行っても出口に辿り着けない。たまに曲がり角があったかと思うと、その先にはやはり同じような廊下が続いているばかりで、小夜を囲む景色は何も変わらなかった。

その中を、小夜は必死に走り続ける。

口が渇いて息が上がっても、心臓が破裂しそうなくらいに鼓動を打っても、裸足の裏が痺れてきても、とにかく前進し続けた。

ちらりと振り返り見た背後には、ひときわ濃い闇が満ちている。

限りなく漆黒に近いその闇の中には、先ほどからずっと、蠢く何かが一定の距離を置いて小夜の後をついて来ていた。

自分の足音に合わせて、背後からひたひたと冷たい音が響く。

立ち止まってしまえば、一瞬にして小夜の体はそれに呑み込まれてしまうだろう。

恐怖で叫び出してしまいそうなのを堪えて、小夜はそれから逃げ続けていた。


廊下の壁にはずらりと窓が並んでいたが、その向こうに広がっているのはぞっとするほどの闇ばかりだった。

どこにも逃げ場なんてない。
小夜はこの暗い世界に一人きりだった。

助けを呼ぶことに意味なんてないと分かっているのに、頭の中では繰り返し誰かの名を呼び続けていた。
それは時には父であり、時には母であった。

そして呼んだ後に気づくのだ。

二人とも、小夜の目の前で死んでいって、もうどこにもいないではないか、と。


prev home next

141/178




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -