ユウリの背後から一人の中年男性がその手を掴んで、彼をアールから引き離した。
「親方?」
目を瞬かせるユウリの前に立ち塞がると、男性はアールに険しい視線を向ける。
「あんたのその背中の紋章…ハンガルだろ。うちの弟子に何の用だ」
自分に注がれる敵意剥き出しの目を、アールは黙って受け止めていた。
この姿でこの国を訪れると決めたときから、覚悟はしていたことだ。
この町の民にとってハンガルが敵国であるという認識は、当分揺らぐことがないだろう。
いくら王女である小夜が笑顔で迎え入れてくれたとしても、民には関係ない。
それほどまでにハンガルは酷い仕打ちをしたのだから。
男性がハンガルと口にしたことで、周囲にいた町の者たちの視線も一様にアールに向けられていた。
それまで賑やかだった通りが嘘のように、しんと静まり返る。
一人男の後ろでユウリだけが、戸惑うように急変した周りの空気に目を泳がせていた。
「あ、あの、親方!この方は僕の知り合いで…!」
「お前は黙ってろ!」
男性に一蹴されてユウリが口をつぐむ。
ぐるりと自分を遠巻きに囲った人間を一瞥し、最後に目の前に立つ男性に視線を留めると、アールは小さく息を吸って口を開いた。
「申し訳ない。あなたたちを怖がらせるつもりはなかったんだ」
軽く頭を下げると、アールは背に負った竜の重さを感じながら再び口を開いた。
「僕はハンガル国新王アール。先王の息子だ」
周囲がにわかにざわめく。まるで獣か化け物でも見るような目で、人々はアールを見つめていた。
一年前ハンガルが与えた傷がどれほど深いものだったのか、痛いほどに伝わってくる。きっとアールの姿を映しながら、その瞳の奥には当時の惨状が甦っているに違いない。
「息子とは言え、僕は長い間国外追放を受けていた身だ。色んな町を転々とし、一年前のことも遠い地で耳に入れた。父があなたたちにした残酷な仕打ちを止められなかったこと、息子として今ここで謝罪したい。申し訳なかった」
大きく頭を垂れたアールの前で、ユウリに親方と呼ばれた男性がぽつりと声を漏らした。
「今さら謝られたって、亡くした人間は帰ってこないんだよ」
男性に続くように、周囲からも声が上がる。
「そうだよ。俺の娘の最期がどれほど悲惨なものだったか、あんたは何も見てないから想像もできないだろ。この町に暮らす者はみんな、同じような地獄を見てる。ずっと頭にこびりついて消えないんだ」
「あんたの親父はそれだけのことをしたんだよ。いくら頭を下げられたって、私たちの苦しみは救われないんだ」
通りはいつの間にか深い悲しみに沈んでいた。
アールを囲む人々の顔に浮かんでいるのは、憎悪よりもずっと重い哀惜の念だった。
前で静かに佇む男性が言う。
「俺たちは別に、ハンガル国に反旗を翻したいわけじゃない。ハンガルにだって俺たちと同じように暮らす民がいるだろう?その人たちを傷つけたいわけじゃないんだよ。俺たちの望みはこの町で平穏に暮らしていきたい。それだけなんだ」
そこまで告げると、男性はユウリの手を引いたままアールに背を向けた。
「謝罪はいいから、この町から出て行ってくれ。これ以上波風が立つのは、みんなうんざりなんだ」
ゆっくりと歩き出した男性の背中は、度重なる疲労のためか丸くなっていた。
周りにいる者たちも同じだ。よく見ればどの顔も、憔悴したように疲れ切っている。
この姿でここを訪れるべきではなかったのだろうか。
今も背中で揺れているであろうハンガルの紋章を、ここにいる人々はどんな思いで目にしているのだろう。
自分の存在が、必要以上にこの人たちを傷つけているのなら、もうこの町には来ないほうがいいのかもしれない。
うつむいた視線の先には、真っ直ぐと地に立つ自分の足元が見えた。
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