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第10章
罪と罰
マーレン城前に今、一台の馬車が歩みを止めた。
中から正装に身を包んだ、黒髪の男性が降りてくる。
その背中には、両翼を広げた竜が、悠々と空を泳ぐようにして揺れていた。
「小夜様、驚くかな」
苦笑して、その男性、アールは前にそびえる白亜の城を見上げた。
今日は隣国マーレンへの挨拶のためにこの城を訪れたのだ。
ハンガル国新王。
その身に背負ったばかりの肩書きは、決して軽くはない。それでも覚悟を決めた今となっては、自分の責任と力を自覚するために必要な重みだった。
ここまで尽力してくれた母のためにも、大事なものを守り抜くためにも、正しくこの力を振るわなければ。
決して、父のように道を違えてしまわないように。
すうっと口から息を吸うと、ハンガル新王アールはマーレン城の門をくぐっていったのだった。
一体何が起こっているというのだろう。
アールは顔を曇らせたまま、今出てきたばかりの城を振り返った。
結論から言うと、小夜には会えなかった。
当初の目的である謁見も叶わず、早々に門前払いを食らう形となってしまった。
アールの前に立ち塞がったのは、あのトオヤという側近の男だ。
トオヤは以前の訪問時とはがらりと変わったアールの恰好に、わずかに驚きの色を浮かべた後、すぐ表情を元に戻して淡々と告げた。
“あいにくですが、姫は不在です”
側近が城にいるというのに、姫だけ不在というのも変な話だ。だがいくら尋ねてみても、トオヤの口からは何も明かされなかった。
確かに正式な約束をしたわけではないので、いないと断られればそれまでなのだが、すんなりトオヤの言葉を受け入れるには違和感が残る。
アールは目をすがめてマーレン城を見上げた。
僕が国に戻っている間に、恐れていた何かが起こったのか?
背中にじわりと嫌な汗が浮いてくるのが分かった。
大丈夫だと、健気に強がってみせる小夜の笑顔が頭に浮かんで、すぐにトオヤの暗い瞳の色に塗り替えられる。
アールは首を横に振ると、胸に巣食う不安を払い落とした。
考えすぎだ。何の根拠もない。小夜様に何かあったにしては、城も町も平穏じゃないか。きっと杞憂に決まってる。
側近の言うとおり、単に外出してるだけに違いない。小夜様のことだから、店の立ち並ぶ大通りで一人楽しく買い物を楽しんでいるのかも。
自分に言い聞かせるようにして、アールは城前広場から伸びる大通りのほうに視線を向けた。
相変わらず賑やかな喧騒が聞こえてくる。
「少し歩いてくるから、もう少し待っててくれないかな」
馬車の御者が了解というふうに頭を下げるのを確認すると、アールは足早に広場を横切って大通りに入っていった。
明るい昼下がりということもあって、通りはずいぶんと活気に溢れていた。
そこかしこで楽しそうな笑い声が上がる。いい町だ。
一年前の襲撃で、この通りも半壊状態だったと聞いたが、今はほとんどその名残もない。
風に乗って香ばしいパンの香りがして、アールは大きく首を巡らせた。
どこかからひょこっと顔を覗かせた小夜が、パンの詰まった紙袋を抱えて駆けてくる姿が脳裏をよぎって、思わず顔が綻ぶ。
きっとその辺りにいるはずだ。
通りを進みながら、その小さな愛しい姿を探しているときのことだった。
「──アールさん!」
聞き覚えのある少年の声が耳に届いた。
後ろを振り返ると、そこに立っていたのはやはりアールの予想どおりの少年だった。
「やあ、ユウリ」
笑顔で手を上げるアールに駆け寄ってきたところで、その格好に気づいたのか、ユウリは目を丸くしてこちらを見上げてきた。
「今日はどうされたんですか?えっと、その格好は…」
以前会ったときは旅人の風貌だったアールだ。ユウリが驚くのも無理はない。
この数日の間に、色々あって王様になったんだ。
なんて軽口で言ってみても、ユウリをさらに驚かせてしまうことには変わりないだろう。
肩をすくめて、アールが口を開こうとしたときだった。