枕に埋めていた顔を横にずらすと、さして広くもない客間全体が見て取れた。
調度品の類は何もなく、よくよく見ればテーブルやソファなども見当たらない。
ただ睡眠をとるためのベッドだけが置かれた、非常にシンプルな部屋だった。
この部屋に入る際に、すぐ隣にも同じような扉があったので、おそらくそちらが小夜のための客間になるのだろう。
そういえば何も声をかけずに一人で戻ってきてしまったが、あの後小夜はどうしただろうか。
今もまだ帰ってこないところを見ると、町の連中といまだに話し込んでいるのか。
もしかしたら自分を探しているのではないか、という可能性もかすかに浮かんだが、再び枕に顔を沈めて否定した。
閉じた瞼の裏側で、先ほどのトオヤの声が甦る。
(…明日、あいつは城に戻る…)
それがどういうことを意味するのか、朱里にはよく分かっていた。
城に戻れば、朱里の相棒であった小夜は消える。
そうだ。
小夜は王女に戻るのだ。
コンコン、とどこかで何かが叩かれる音が聞こえた気がした。
うっすら開いた瞼の先には、仄暗い闇に沈んだ室内が広がっていた。
朱里はのろのろと体を起こす。
どうやら知らないうちに、自分は眠っていたらしい。
部屋に唯一あるベッド側の窓の向こうは、完全に夜の色に染まっていた。
軽く目を擦っていると、もう一度さっきの音が扉の向こうから聞こえた。
誰かが部屋の扉をノックしているのだと気づいて、朱里は寝起きの気だるい気分のまま扉を開いた。
闇に慣れた目に廊下の灯りを受けて思わず顔を背けると、聞き慣れた声が耳に届いた。
「朱里さん、お目覚めですか?」
扉の前には小夜が立っていて、なぜか嬉しそうな笑顔を朱里に向けていた。
その胸には紙袋が抱えられている。
「ああ、なんか寝てたみたいだな。どうした?」
「よかったらこれ、一緒に食べませんか?」
差し出された紙袋の中からパンの香りが鼻をくすぐって、そういえばしばらく何も食べていないことを思い出した。
眠っていたのだから仕方がないが、もしかしたら小夜も朱里に気を遣って食事はまだなのかもしれない。
「入れよ。遅くなったけど晩飯にするか」
「はいっ」
小夜を招き入れたものの、朱里は室内に視線を戻して頭を掻いた。
そういえばこの部屋にはテーブルもなければ椅子もないことに思い至る。
これだけ広い屋敷だ。
食事をする部屋もあるのだろうが、この時間からトオヤを探して案内を頼むのも気が引けた。
何より今はあまりトオヤと顔を合わせたくない。
どうするかな。
顎に手を当てて考え込む朱里の横を抜けて、小夜が部屋に唯一あるベッドにちょこんと腰を下ろした。
にこにこと笑顔で朱里を手招きしてくる。
「朱里さん、早く早く」
「姫様がそんな行儀悪いことしていいのかよ」
「今日は特別です!それにベッドの上でご飯食べるのって、なんだかワクワクしませんか?」
「言いたいことは分かるけどさ」
苦笑いをこぼして、朱里は小夜の隣に胡座を掻いて座った。
さっそく小夜は紙袋の中に手を突っ込んでパンを漁っている。
それがあまりに真剣な顔をしているものだから、朱里は思わず声に出して吹き出してしまった。
「朱里さん?」
「わりい。お前、相当腹減ってたんだな」
くく、と手の甲を口元に当て、笑いを堪えながら答える。
きょとんとした顔で朱里を見ていた小夜の瞳から、突然、涙の粒がこぼれ落ちた。
「おい、小夜?」
驚いて名を呼ぶと、初めて自分が泣いているのに気づいたのか、小夜も驚いたように目元に手を当てた。