「待ってくれないって、どういう意味だよ」
妙に不吉な予感のする目だったが、それも瞬きとともに消えてしまう。
単に朱里の思い違いだろうか。
朱里の問いには答えることなく、ロキは身をひるがえすと元来た道を戻り始めた。
颯爽と上着の裾を揺らしながら、
「少し喋りすぎた。トールも知らん話だ。忘れろ」
背中を向けて言い放つ。相変わらず朱里を振り返ることはない。
朱里は首をひねりつつ、その背中を追いかけた。
「なんで側近も知らないような話を俺にするんだよ」
「どこの誰とも知れんお前なら、秘密のはけ口として後腐れがないからな。もしくは単に俺が血迷っただけか」
「なんだよそれ」
唇を尖らせる朱里の前で、わずかにロキの頭が下に傾いた。
「一人で抱えているのに疲れたのかもしれんな」
ぽつりと呟かれた言葉は、ロキの本音だったのかもしれない。
朱里は頭を掻きながら言ってやった。
「まあ、俺相手でも少しは楽になったんなら、よかったんじゃねえの」
話を聞くだけならいくらでも聞くし、と軽口で付け加えたところで、前方のロキが肩を揺らすのが見えた。
「セバスチャンが調子に乗るな」
朱里からは背中しか見えないが、おそらく底意地の悪い顔をして笑っているに違いない。
「参ってる誰かさんをフォローすんのも、側近の仕事だろ」
「いつお前が側近になった。執事だろうが」
すっかり普段の調子に戻ったロキは、しばらく朱里に背を向けて坂道を下っていたが、ふいに横顔を向けると、
「あのときはああ言ったが」
「ん?」
目を丸くする朱里に、ちらりと視線だけ向けて言い放つ。
「安心しろ。姫には手を出してない」
それだけ告げると、再びロキは足早に坂を下っていってしまった。
遠ざかっていく背中に、朱里は思わず笑いをこぼす。
「今さらかよ」
何を考えているのか読めないはずのロキという男が、そのとき少しだけ身近に感じられたような気がした。
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