「もし仮にこの集落の存在が噂にでもなれば、国民の怒りはこの者たちに直接向けられるだろう。彼らをこれ以上苦しませるわけにはいかん」
朱里は思わずロキの横顔を見た。
言葉の最後に、ロキの思いが垣間見えたからだ。
この集落に暮らす人々だけではない。この国で新たな居場所を得たすべての難民を守るために、父亡き後ロキはずっと一人で秘密を貫いてきたのだろう。
「これ以上は無理だと、父には何度も進言した。だが聞き入れられることはなかった。あの人はいつだって理想の中で生きていた。この世に生まれた命は、すべて等しく幸福であるべきだと信じて疑わない。父はそういう人だった。だからこそ迷いなく難民を保護し続け、結果、理想と現実との隔たりに絶望した。自分が良かれと思った行動によって、国民の生活に支障をきたし始めたからだ。自分が国民を苦しめているのだという事実を、父は受け入れられなかった」
静かに語るロキの口ぶりには、父親に対する非難の色は感じられなかった。
むしろ理想のままに行動し、それを曲げることができない父の不器用さを悲しんでいるように思えた。
現実と理想との差に苦しんだ先王は、その後どういう道を選択したのだろう。
結末が見えた気がして、朱里はロキの横顔を見つめたまま躊躇いがちに口を開いた。
「それじゃあ、先王が亡くなったのは…」
「自ら命を絶ったんだよ」
静かにそう告げて、ロキの横顔が悲しげに微笑んだ。
頬にかかった血を思わせる髪の毛を、風がそよと揺らしていく。
やはり先王の最期は、朱里の思ったものと相違なかったようだ。
朱里が見ている前で、ロキは宙を睨みつけるように目を細めた。
「…そうさせたのは俺だ。苦悩している父に進言するには、相当の覚悟が必要なはずだった。だが俺には何の覚悟もなかった。父の行動を非難するだけして策を練るわけでもなく、父にすべてを任せきりにした。俺の無責任な発言が父を追い詰め、殺したんだ」
きっとこれまでも幾度となく、ロキはこうやって自分を責めてきたのだろう。
迷いなく口からこぼれる言葉の端々にそれを感じる。
ロキの口から真実を聞いて、朱里はようやく合点がいく思いがした。
ここ数日ロキの側にいて拭えなかった違和感。
人間には表と裏がある。それはもちろん分かっている。
だがロキが父親を手にかけるような残虐な人間には、どうしても見えなかった。
だからこそロキがどういう人間なのか掴みきれずにいたのだ。
軽く息を吐くと、朱里は意識して軽い口調で言ってやった。
「誰もあんたのせいだなんて責めたりしないよ。俺だってあんたの立場なら同じことしてる」
ロキの横顔がふっと笑みを漏らした。
「あいにくだが、俺は懺悔したいわけでも、慰めの言葉が欲しいわけでもない。今さらどう後悔しても、父が帰ってくるわけではないからな。俺にできるのは、父の代わりにこの国を維持していくことだけだ」
当に父の死は乗り越えているのだと言うように、ロキは真っ直ぐ空に顔を上げた。
その表情がわずかに曇る。
「だが、残された問題は何も解決していない。父が亡くなり俺が国王を襲名して以来、難民の受け入れは行っていない。いや、正しくは行えなかった。思っていた以上にこの国の破綻は進行していた。国民は俺に税制の緩和を期待したが、到底それもできん。人口が飽和状態のこの国で、今税制を緩めれば間違いなく国は終わる」
「けど、今のままじゃ」
朱里の反応を待っていたように、ロキが即答を返した。
「分かっている。他国の協力が必要だ。俺はそれをマーレンに期待した。だが肝心の姫がいつ目覚めるか知れん状態だ。わが国民はそこまで悠長に待ってくれはしないだろう」
遥か遠くを見通す青い瞳に、そのとき影が差したような気がした。
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